今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「願わくば畳の上で」より。
「やがて日が暮れると、急に仏壇が怖くなる。観音開きの扉は閉まっているのに、中の様子が目に浮かんでくる。黒ずんだ金の観音様に立てかけるようにして、私が生れる前に、三歳と一歳で死んでしまった兄と姉のスナップ写真が並んでいる。小さな死者たちは、二人とも笑っている。会ったこともないのに、二人が私を呼んでいるようで怖くなり、電灯をつけてもらおうと台所の母を呼ぶのだが、茶碗や皿が触れ合う音がするのに、母の返事がない。見上げる黒塗りの扉の隙間から、蠟燭の炎が洩れて見える。いったい誰が、いつの間に点(とも)したのだろう。そのうちに中の仏具たちが、カタカタと音を立てはじめる。そして子供の私の身の丈ほどもある仏壇が、少しずつ前へ傾いて私の上にのしかかり、私は宵闇の中で細い悲鳴を上げるのだった。
布団の裾の、裏庭に面した丸窓の障子に、隣りの家との境に植えられた竹の影が映るのもそんな時刻である。風さえなければ、それほど怖くはないのだが、私が一人で寝ているときに限って、嫌な風が吹く。ザワザワと揺れる竹の葉の影が、無数の鳥や虫の群れに見えたりする。私は慌てて目を逸らす。するとそこには、金色の鳳凰(ほうおう)に縁取られた楕円形の枠の中、重々しい大礼服に身を包んだ〈その人〉がいる。〈その人〉は、銀縁の眼鏡の奥から優しい目で私を黙って見下ろしている。〈その人〉は、さっきから私の恐怖をずっと見ていたのだろうか。もう辺りは真っ暗なはずなのに、私には〈その人〉の懐かしい顔がはっきり見えるのだ。私はようやく気を鎮め、ホッと熱い息をつく。それを待っていたように、母が台所から小走りにやってきて、私が寝ている上の電灯をつける。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「やがて日が暮れると、急に仏壇が怖くなる。観音開きの扉は閉まっているのに、中の様子が目に浮かんでくる。黒ずんだ金の観音様に立てかけるようにして、私が生れる前に、三歳と一歳で死んでしまった兄と姉のスナップ写真が並んでいる。小さな死者たちは、二人とも笑っている。会ったこともないのに、二人が私を呼んでいるようで怖くなり、電灯をつけてもらおうと台所の母を呼ぶのだが、茶碗や皿が触れ合う音がするのに、母の返事がない。見上げる黒塗りの扉の隙間から、蠟燭の炎が洩れて見える。いったい誰が、いつの間に点(とも)したのだろう。そのうちに中の仏具たちが、カタカタと音を立てはじめる。そして子供の私の身の丈ほどもある仏壇が、少しずつ前へ傾いて私の上にのしかかり、私は宵闇の中で細い悲鳴を上げるのだった。
布団の裾の、裏庭に面した丸窓の障子に、隣りの家との境に植えられた竹の影が映るのもそんな時刻である。風さえなければ、それほど怖くはないのだが、私が一人で寝ているときに限って、嫌な風が吹く。ザワザワと揺れる竹の葉の影が、無数の鳥や虫の群れに見えたりする。私は慌てて目を逸らす。するとそこには、金色の鳳凰(ほうおう)に縁取られた楕円形の枠の中、重々しい大礼服に身を包んだ〈その人〉がいる。〈その人〉は、銀縁の眼鏡の奥から優しい目で私を黙って見下ろしている。〈その人〉は、さっきから私の恐怖をずっと見ていたのだろうか。もう辺りは真っ暗なはずなのに、私には〈その人〉の懐かしい顔がはっきり見えるのだ。私はようやく気を鎮め、ホッと熱い息をつく。それを待っていたように、母が台所から小走りにやってきて、私が寝ている上の電灯をつける。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)