「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・09・18

2013-09-18 08:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「夕暮れの町にたたずんで」より。

「次に聞こえないのは、夕飯の支度の音である。水道の蛇口から勢いよく水が流れる音、その水を使う音、食器の触れ合う音――どうしたことか聞こえないのである。そう言えば、道を歩いていて台所の窓が見えることが、ほとんどない。黄色い電灯が点り、湯気で曇った台所の窓がない。窓を通る割烹着の影もない。昔もいまも、時分時(じぶんどき)はおなじはずである。それなのに、主婦たちはどこでどうやって支度をしているのか、影も形も音もない。しかし、この風景がなくなったとしたら、私なんかとても困ってしまう。これくらい感傷的な風景は他にないのだ。自分は一応ちゃんとした家庭を持ち、家族もいるというのに、男は湯気でよく見えない窓の向うの幸福を想って、涙ぐむものなのだ。そんな思いを呼び覚ますのが、夕暮れの台所の音なのだ。自分だって、少し努めれば、その中に棲むことのできる家庭の団欒に、意味のない片意地張って背を向け、よその家の湯気に曇った窓を羨むのが男というものなのだ。私は、若いころからずっとそうだった。金木犀の匂う坂道を下りながら、いつも情けなく泣いていた。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)

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