今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「夕暮れの町にたたずんで」より。
「しかし、いまの家からも、少し歩けば、モーターバイクの店だとか、二十四時間営業のコンビニだとか、白塗りのアパートだとか、昔は見かけなかったものがある。私の家を中心に半径百メートルぐらいの区域に、たまたま昭和十年代の雰囲気が残っているのである。ちょっと低めの大谷石の塀沿いに植えられた、庭の金木犀が匂う家がある。取り込み忘れた白い洗濯物が、裏庭に揺れている家がある。見上げると、道路を渡って幾条かの電線が夕風に波打っている。けれど、こういう風景も、ぼんやりとした夕暮だから懐かしいのであって、よく見れば電柱やトランスも違うし、アルミ・サッシの窓の様子も違う。瓦屋根が少ないし、街灯も昔よりはずっと明るい。とは言え、そんなところに目をやりさえしなければ、幸福な風景である。この国に生れ、この町に育ったという思いに、ほんの少しの間、耽ることができる。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「しかし、いまの家からも、少し歩けば、モーターバイクの店だとか、二十四時間営業のコンビニだとか、白塗りのアパートだとか、昔は見かけなかったものがある。私の家を中心に半径百メートルぐらいの区域に、たまたま昭和十年代の雰囲気が残っているのである。ちょっと低めの大谷石の塀沿いに植えられた、庭の金木犀が匂う家がある。取り込み忘れた白い洗濯物が、裏庭に揺れている家がある。見上げると、道路を渡って幾条かの電線が夕風に波打っている。けれど、こういう風景も、ぼんやりとした夕暮だから懐かしいのであって、よく見れば電柱やトランスも違うし、アルミ・サッシの窓の様子も違う。瓦屋根が少ないし、街灯も昔よりはずっと明るい。とは言え、そんなところに目をやりさえしなければ、幸福な風景である。この国に生れ、この町に育ったという思いに、ほんの少しの間、耽ることができる。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)