「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

私は畳の上で死にたい 2013・09・09

2013-09-09 07:30:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は。久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「願わくば畳の上で」より。

「家で死ぬということは、長いことその部屋に臥せって、自分の死を待っているということである。もし私がそうするなら、私はきっとあの病気の日とおなじ怖れに取り囲まれて、長い時間を過ごすのではなかろうか。日本の家は、そういうことを考えさせるために作られているのだ。低い視点から見る日本の家の視界には、生きてきた日々について静かに考えさせるものが、あちこちに佇んでいる。枕の上で朝を迎え、高くなっていく陽を静かに目で追い、畳に落日の海を見て、やがてやってくる怖い夜を待つ。漱石も鷗外も一葉も、みんなそういう一日を何日も繰り返し、痩せ衰えながら、また何日も繰り返し、その果てに死んでいったのだと思う。私の病の日々が、怖かったけれど、いま思うと懐かしくも幸せだったように、畳の上に臥せって迎える死は幸せな死である。白い天井や壁を眺めて、私たちの心はいったい何を思うことができよう。怨みも、悔いも、愛さえも、白い壁にはね返って、また我と我が身に戻ってくるだけである。だから、畳の上で死にたいと思う。切実にそう思う。ただ闇雲に走ってきたような人生ではあったけど、せめて最後のときに、そんな夕暮れをいくつか持つことができたなら、私は私が愛したものが何だったのか、はじめて知るかもしれない。ほんの瞬く間のことではあったが、それでもそれは温かな時間だったことが、わかるかもしれない。そしてもしかしたら、生れてきたことと、こうして死んでいくこととは、つまりはおなじことだったことに気づいて、死んでいく者には似合わない、小さな笑いを浮かべることだってできるかもしれないのだ。
 だから私は、畳の上で死にたい。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)

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