今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「本棚からつぶやきが聞こえる」より。
「本の声が聞こえるようになると、仕事は捗(はかど)る。あの本のあの辺りを引用したいなと思うと、背中から本の方が啼いて呼んでくれるのである。。蕗谷虹児(ふきやこうじ)の、パリの女の子を描いた絵がどこにかにあったはずだと思うと、左手のいちばん上の段から、細い虫の声が聞こえてくるのである。そのうちに、本の虫たちは、探す前から啼いてくれるようになる。つまり、ある文章を書いていると、どこかから北一輝らしい重い声が聞こえてくる。その声に気づいて、私はいま書いている件に彼の『支那革命外史』が必要なことを知るのである。本の虫たちと、これくらい親しく嬉しい関係になるためには、ずいぶん時間がかかる。時間をかけるだけでなく、その本を絶えず優しい気持ちで読んでやらなくてはならない。本たちは、可哀相に、いつも戸惑ったり、怯えたりしているのだ。――本は、私たちと同じように、心細い生きものなのである。」
「いまはガラス戸や窓にブラインドを下ろして、昼でも暗い書斎だが、開け放てば、日当たりのいい明るい部屋である。私がいなくなったら、この部屋は明るく使うといい。書架も取り外して広く使えばいい。たくさんの本たちも、処分されることを望むだろう。だって、彼らの啼く声を聞き分けてやれるのは、私しかいないのだから――。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「本の声が聞こえるようになると、仕事は捗(はかど)る。あの本のあの辺りを引用したいなと思うと、背中から本の方が啼いて呼んでくれるのである。。蕗谷虹児(ふきやこうじ)の、パリの女の子を描いた絵がどこにかにあったはずだと思うと、左手のいちばん上の段から、細い虫の声が聞こえてくるのである。そのうちに、本の虫たちは、探す前から啼いてくれるようになる。つまり、ある文章を書いていると、どこかから北一輝らしい重い声が聞こえてくる。その声に気づいて、私はいま書いている件に彼の『支那革命外史』が必要なことを知るのである。本の虫たちと、これくらい親しく嬉しい関係になるためには、ずいぶん時間がかかる。時間をかけるだけでなく、その本を絶えず優しい気持ちで読んでやらなくてはならない。本たちは、可哀相に、いつも戸惑ったり、怯えたりしているのだ。――本は、私たちと同じように、心細い生きものなのである。」
「いまはガラス戸や窓にブラインドを下ろして、昼でも暗い書斎だが、開け放てば、日当たりのいい明るい部屋である。私がいなくなったら、この部屋は明るく使うといい。書架も取り外して広く使えばいい。たくさんの本たちも、処分されることを望むだろう。だって、彼らの啼く声を聞き分けてやれるのは、私しかいないのだから――。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)