今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「夕暮れの町にたたずんで」より。
「残念なのは音である。町の音が違う。――たとえば、人通りの少ない昏れかけた住宅街を歩いていて、自分の足音が聞こえないのである。あのころは、靴をはいていても、下駄をはいていても、まず自分の足音が耳に聞こえたような気がする。足を早めれば、足音も忙しく、いまきた道をふと振り返れば、足音もその分ためらい気味に遅くなる。それが、いまの町では聞こえないのである。騒音のためではない。町は静かである。それなのに、足音が聞こえないという不思議である。なんだか不安になって、歩きながら口笛を吹いてみる。これも微かにしか聞こえない。あのころは子供だったのに、夕暮れの口笛は、誰かに叱られるのではないかと思うくらい、鋭く風の中に鳴った。いまの風景は、足音や口笛を吸い込んでしまうのだろうか。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)
「残念なのは音である。町の音が違う。――たとえば、人通りの少ない昏れかけた住宅街を歩いていて、自分の足音が聞こえないのである。あのころは、靴をはいていても、下駄をはいていても、まず自分の足音が耳に聞こえたような気がする。足を早めれば、足音も忙しく、いまきた道をふと振り返れば、足音もその分ためらい気味に遅くなる。それが、いまの町では聞こえないのである。騒音のためではない。町は静かである。それなのに、足音が聞こえないという不思議である。なんだか不安になって、歩きながら口笛を吹いてみる。これも微かにしか聞こえない。あのころは子供だったのに、夕暮れの口笛は、誰かに叱られるのではないかと思うくらい、鋭く風の中に鳴った。いまの風景は、足音や口笛を吸い込んでしまうのだろうか。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)