「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・09・14

2013-09-14 07:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「生れてはじめて住んだ家」より。

「父は職業軍人だった。戦争が終わり、夢も、生甲斐も、軍刀も奪われて、昭和二十年の秋、悄然と私たち家族のところに帰ってきた。公職追放になり、働くあてもなく、毎朝リヤカーに耕作道具と肥料を積んで、焼け跡に野菜を作りに出かけ、日が傾くころ、いつ帰ったかわからないくらい静かに帰ってきた。そんな生活が何年かつづいた。私は中学生になっていた。記憶の中の父は、恰幅がよく、力強くて男らしかった。いつだって口元が引き締まり、目は真っすぐに高いところを見ていた。その父がうつむいている。その父が痩せている。声は小さくなり、日陰を選んで歩いているようにさえ見える。そろそろ町にも復興の気配が見えはじめ、人々の顔も明るくなってきたというのに、父はぼんやりした影のようだった。私は、はじめて父を疎(うと)ましく思った。
 そのころの父に優しい言葉をかけてやった憶えが、私にはほとんどない。たまに言う不器用な冗談に付き合って、笑ってやったこともない。私は酷薄な息子であった。
 昭和二十四年夏、父は、ある朝突然腹痛を訴え、日が暮れると同時に死んだ。胆嚢が化膿していたのだという。その地方の風習で、棺は坐棺だった。昔ながらの、文字通りの棺桶である。母と兄が両側から、父の痩せた体を吊り上げるようにしてその中に入れるとき、父のどこかの骨が鳴った。私は、少し離れたところで、その奇妙な音を聴いていた。本来なら、母に代って、私が父を棺に入れてやるところである。もう死んでしまった父にまで、私は優しくなかったのである。私は泣いていたというが、それは父が不憫だったからではなく、父が情けなかったのである。
 父が死んだ年を、私は越えた。そのころから、毎日のように父のことを考えている。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)

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