「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

心がいたむ Long Good-bye 2023・12・12

2023-12-12 05:01:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、インターネットのフリー百科事典

 「 ウィキペディア 」掲載の記事「 横田めぐみ 」さん 。

   親元から13歳で引き離され 、46年 、永の半島暮らし 。

   引用はじめ 。

 「 横田 めぐみ( よこた めぐみ 、1964年 〈 昭和39年 〉

  10月5日 - )は 、北朝鮮による拉致被害者 、政府

  認定の拉致被害者 。中学1年生( 13歳 )のとき 、

  部活動を終えて帰宅するところを拉致されたとされる 。

  人 物

   父・滋に抱き上げられる横田めぐみ( 1965年3月撮影 ) ( 写真 略 )

  年 譜

   1964年( 昭和39年 )10月5日 : 日本銀行職員の

  父・滋 と母・早紀江 の長女として 、名古屋市の聖霊病

  院で生まれる 。以後 、父・滋の転勤により 東京都品川

  区や広島市に転居 。広島時代は 、特別な道具がなく

  ても葉っぱや木 、石などを使ってさまざまな遊びを考え出す

  子どもであった 。

   1976年( 昭和51年 )7月23日 : 新潟市に転居す

  る

   静かな住宅地で 、近くに 新潟大学理学部・人文学部

  の跡地があり 、広大な空き地となっていて 海岸の防風林

  に続いていた 。夜間は 人気が途絶え 海鳴りの音だけが

  聞こえてくる 。めぐみは  『 ずいぶん寂しいところだねお父

  さんはここに何年いるのかなあ 』 と 真顔で早紀江にたずね

  たことがあったという 。

   1977年( 昭和52年 )4月 : 新潟市立寄居中学校

  に進学 。バドミントン部に所属する 。

   11月15日 : バドミントン部の練習後の下校途中に失踪

  チームメート2人と一緒に6時半すぎに校門を出て 、水道町 ( 11月15日の午後6時半すぎ あたりは真暗 )

  の自宅へ向かった 。同日 、新潟県警察に捜索願が提出

  される 。同日夜 、新潟中央警察署は 全職員を非常招

  集し 、県警本部と連絡を取りながら 最大220人態勢で

  捜査を進めた 。翌11月16日には 機動隊 760人が投入

  されて大がかりな捜索活動が開始された 。この捜索隊の

  規模は当時新潟県警始まって以来と言われるほど大規

  模なものだった 。遺留品発見にも全力を挙げたが見つか

  らなかった 。 このとき 、警察犬は必ず通学路の途中の一

  地点で止まったままの状態になった 。 のちに 、北朝鮮の

  工作員だった 辛光洙らによる拉致犯罪であったことが判

  明した 。辛光洙は 横田めぐみ と 曽我ひとみ を招待所で

  教育する係だったが 、辛は 曽我に 『 めぐみちゃんを日本

  から拉致してきたのは自分だ 』 と 話したという 。

   11月16日:朝礼が少し遅れて始まり 、教師が 『大事な

  話がある 』 と切り出して 同級生に横田めぐみが行方不明

  になったことを告げたという 。

  人物像

   明るく朗らかな性格 。 歌ったり絵を描いたりすることが

  好きで 、習字やクラシックバレエを習っていた 。『 ベルサ

  イユのばら 』 のような少女漫画風のイラストをよく描いて

  いた 。 漫画は 読むだけではなく 、自分でもストーリー漫

  画を描くほどに 入れ込んでいた 。 また 、読書好きで 、

  新潟の小学校では広島から転校して卒業するまでの間

  ( 約 8か月間 )で 学校図書から借りた冊数が 、学年で

  一番多かったという 。 さまざまな分野を乱読しており 、

  芥川龍之介 や 夏目漱石 は ジュニア版でなく 全集で読

  んでおり 、推理小説も好んでいた 。

   何度も転居を経験してきたので 新潟の地にもすぐなじみ 、

  友人もできた 。小学校では 合唱のサークルに入って活動し 、

  卒業式に 6年生 119人全員で披露した合唱曲 『 流浪の

  民 』( ロベルト・シューマン作曲 )の独唱部分を歌う4人

  のうちの1人に抜擢された 。中学校では バドミントン部員や

  同級生からは 『 ヨコ 』 と呼ばれていた 。友人によれば 『 ヨ

  コ 』 は成績抜群であった 。横田めぐみの親友は 彼女の誕

  生日に 蝶々のアクセサリー を贈った 。彼女は 『 ヨコ 』 がい

  なくなった日 、初めて大泣きしたという 。

   失踪前日の11月14日 、父・滋の誕生日に 『 これからは

  おしゃれに気をつけて 』 と言い 、櫛をプレゼントした 。」 

   引用おわり 。

  (@ ̄- ̄@)

   1964年 ( 昭和39年 ) 生まれの 横田めぐみさん 、ご健在なら現在

  59歳 。

   きっかけは何だったのだろう 。

   日本人なら 誰でも よかった筈はない 。

   在日の 金融関係者につながるもの の " 推し " がなければ 、「 " 日銀 "

  職員の娘さん 」が候補者リスト に載ることは なかった筈 。金融機関でも 、

  全国の県庁所在地に必ず支店があるのは 、日本銀行 だけではないか 。

   支店があるところには 社宅 、官舎 がある 。多くの転勤族社員は単身赴任

  ではなく 、家族帯同だっただろう 。

   いつの頃からか 、候補者リストに載せれてしまったのが 運の尽き 。  

   新潟に移ってくる前の 広島在住の頃か 、あるいはもっと前から 目をつけら

  れていたのかも知れない 。

  ( ´_ゝ`)

    朝鮮動乱は70年後の今日も終わっていない 。心いたむ 昭和の未解決事件 。

   50年後の今なら 、政権幹部の子弟教育に 、危険をおかしてまで 、外国人

  を拉致しなくても 、気心の知れた おつきをつけて 本人を スイス・ベルンな

  どヨーロッパのインターナショナル・スクールに通わせるか 、家庭教師を招

  聘するか 、オンライン・レッスンを受けさせれば 、こと足りるのに ・・・  。

 

 

 ( ついでながらの

   筆者註:「 横田 滋( よこた しげる 、1932年11月14日 - 2020年6月

        5日 )は 、北朝鮮による拉致被害者 である 横田めぐみ の父 、

        横田早紀江の夫 。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の代

        表を務めた 。

        人物・来歴

         北朝鮮による拉致被害者 横田めぐみの父 。妻は 横田早紀江 。

        子どもは 長女・めぐみ 、長男・拓也 、次男・哲也 の3人 。元 北

       朝鮮による拉致被害者家族連絡会( 家族会 )代表 。

        徳島県徳島市出身 。

        ( 中 略 )

       年 譜

       ・ 1951年:北海道札幌南高等学校卒業後 、日本銀行 ( 札幌

        支店 )入行 。

       ・ 1962年:早紀江( 京都府京都市出身 )と結婚 。早紀江と

        の間に 長女・めぐみ 、双子の長男・拓也 、次男・哲也 が生まれる 。

       ・ 1976年夏:転勤により 広島市より新潟市に転居 。

       ・ 1977年11月15日:長女・めぐみ が失踪 、家族による捜索ののち

        警察による捜索活動 、機動隊 も出動した 。滋は 1週間近く仕事

        を休み 、寝るときは 、すぐに電話に出られるよう電話近くで寝た 。

       ・ 1983年6月:転勤により 新潟より 東京都世田谷区に転居 。

       ・ 1993年:日本銀行を定年退職 。

         ( 後 略 )          」

       ( ´_ゝ`)    (* ̄- ̄)

      「 金 正哲( キム・ジョンチョル 、1980年/1981年9月25日 - )

       は 、北朝鮮の 第2代最高指導者 金正日の次男 。2020年4月

        より 、朝鮮労働党の行政指導課長を務めているとされる 。

        母は 大阪鶴橋生まれの在日朝鮮人二世で 、帰国した 高英姫 。

         同母弟に第3代 最高指導者の 金正恩 、同母妹に 金与正 が

        いる 。 また 、異母兄 金正男( 母:成蕙琳 )がいる  。

         ( 中 略 )

        ギタリスト

         元駐英北朝鮮公使の太永浩は 、2017年1月25日の記者会見

        の中で金正哲について 『 政治に関心がなく 、役職もない 。音楽

       に関心があり 、有能なギタリストだ 』 と語った 。

         ( 中 略 )

       性 格

        父の金正日から 『 彼は女の子みたい 』 と評されていたといわれて

       いる 。 」

       ( ´_ゝ`)

      「 高 容姫( コ・ヨンヒ 、朝 : 고용희 、1952年6月26日 -

       2004年8月13日 )は 、朝鮮民主主義人民共和国( 以下

        北朝鮮 )の人物 。同国の最高指導者であった 金正日の愛人の

        一人であり 、金正日からは 日本風に 『 あゆみ( 아유미 )』 と

        呼ばれ 、最も寵愛を受けていたとされる 。金正哲 ・ 金正恩 ・ 金

        与正 の 実母 である

        長らく その名前は 『 高英姫 』 として伝えられていたが 、2015年に

        妹( 高英淑 )の夫が メディアのインタビューで 、高英姫ではなく

        『 高容姫 』 であると訂正している( 日本語表記では どちらも 『 ヨ

        ンヒ 』 であるが 、朝鮮語の発音は異なる )。

       人物・略歴

        1952年6月26日 、大阪市生野区鶴橋にて 朝鮮人の父 、高京澤  ( Ko

       Gyon-tek , 1913年8月14日-1999年 )と 母 、李孟仁 ( Lee Maeng-in ,

       1913年8月3日 - ? )との間に 生まれた 在日朝鮮人二世 。母は 李孟仁 。

       日本名は 高田姫( タカダ ヒメ )。

        北朝鮮の公式見解では 、済州道済州市生まれということになって

        いる 。

        1962年 、9歳のときに 両親とともに 北朝鮮の咸鏡北道に移住し 

        た 。その後 、平壌芸術大学に入学し 、1971年頃には 万寿台芸

        術団に入って 舞踊家として活動した 。1972年 、『 功勲俳優 』 の

        称号を受けている 。1973年7月から9月にかけての 万寿台芸術団

        の日本公演の際には 、芸術団の一員として 「 柳日淑( リュ・イル

       スク 、류일숙)』 の芸名で 日本を訪問している 。日本に向け

        て出発する団員たちを前に 、金正日は以下のように訓戒したという 。

        『 皆さんは 、敵地( 日本 )に行くのだから 警戒心を高めなけれ

        ばならない 。革命時代を生きる芸術人らしく生活は質素に 、身

        なりや化粧も素朴にしなければならない 。』

         高容姫はこのとき 『 祖国のチンダルレ 』 や 『 扇の舞 』 『 牧童と処

        女 』 で主役を務め 、フィナーレで記念撮影する際は 舞台中央に立

        った 。

         ( 後 略 )  」

       「 高容姫 ( 1952.6.26 - 2004.8.13 )

         金正哲 ( 1980/1981.9.25 -   )

         金正恩 ( 1984.1.8 -     )

         金与正 ( 1988.9.26 -   )       」

             ( ´_ゝ`)

        以上ウィキ情報 。

        参考情報を見る限りでは 、同母血縁の 絆 、結束 は固そう 。

        どこの国にも 知恵者 はいる 。

        おカネがあれば 、ミサイルでも 、核でも 、なんでも買える

        世の中だけど 、かの国には どうしてあんなにおカネがあるん

       だろ 。70年かけて綿々と続く 「 打ち出の小槌 」あるに

       違いない  。確かにあるのに 見えてないだけ ?!  それと

       見えてるのに 見えないふり ?!

 

 

                

 

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