今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「うろおぼえで恐縮だが、『税金ドロボウにも言わせてくれ』という訴えを読んだことがある。自衛隊員の細君の投書だったと記憶する。自衛隊の評判がたいそう悪かったころ、基地だからつい油断して、制服のまま映画館にはいったところ、隣席の若者がつと立って『税金ドロボウ』と言って他の席に移ったという。」
「自衛隊が違憲か合憲かというなら、それは違憲にきまっている。けれども憲法は実状にあわなくなれば、いつでも改めることができる。中国もアメリカも何度も改めていることはご存じの通りである。」
「言うまでもなく自衛隊は軍隊である。それは海上自衛隊が最もよく知る。海上自衛隊が招かれて正式に外国を訪問すると、その国は海軍として迎える。相応の『礼』をもって歓迎するから、はじめて海外へ出た者は、自分が海軍軍人であることを知って驚愕する。」
「けれどもその旅を終えてわが国へ帰れば、もとのもくあみである。自衛隊は権力の犬であり、税金ドロボウである。」
「大正のむかし『軍縮』ということがやかましく言われ、すこしばかり軍備縮小したことがある。そのころ軍人は肩身のせまい思いをした。外出するときは軍服を背広に着かえたという。軍人たちは当時のことを深く根にもって、昭和になってその恨みをはらしたという。
いま少壮の自衛隊員は、そのころとは比べものにならない辱しめをうけている。税金ドロボウと言った若者は、隊員が『何をっ』ととびかかってこないのを承知で言っている。映画館の暗がりをいいことにして、それでもこわいものだから、立って席を移っている。
このドロボウ呼ばわりした者も、暮夜石を投げた者も、共に世間の風潮に雷同しただけだから、今は自分のしたことは忘れているが、されたほうは忘れない。
完全武装した一大集団を、故なく凌辱するとどうなるか、私たちはそれしきの想像力も持たない存在である。軍縮時代の経験は経験になっていない。人はついに『経験』というものをしないのではないかと、時々私は思うことがある。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
「うろおぼえで恐縮だが、『税金ドロボウにも言わせてくれ』という訴えを読んだことがある。自衛隊員の細君の投書だったと記憶する。自衛隊の評判がたいそう悪かったころ、基地だからつい油断して、制服のまま映画館にはいったところ、隣席の若者がつと立って『税金ドロボウ』と言って他の席に移ったという。」
「自衛隊が違憲か合憲かというなら、それは違憲にきまっている。けれども憲法は実状にあわなくなれば、いつでも改めることができる。中国もアメリカも何度も改めていることはご存じの通りである。」
「言うまでもなく自衛隊は軍隊である。それは海上自衛隊が最もよく知る。海上自衛隊が招かれて正式に外国を訪問すると、その国は海軍として迎える。相応の『礼』をもって歓迎するから、はじめて海外へ出た者は、自分が海軍軍人であることを知って驚愕する。」
「けれどもその旅を終えてわが国へ帰れば、もとのもくあみである。自衛隊は権力の犬であり、税金ドロボウである。」
「大正のむかし『軍縮』ということがやかましく言われ、すこしばかり軍備縮小したことがある。そのころ軍人は肩身のせまい思いをした。外出するときは軍服を背広に着かえたという。軍人たちは当時のことを深く根にもって、昭和になってその恨みをはらしたという。
いま少壮の自衛隊員は、そのころとは比べものにならない辱しめをうけている。税金ドロボウと言った若者は、隊員が『何をっ』ととびかかってこないのを承知で言っている。映画館の暗がりをいいことにして、それでもこわいものだから、立って席を移っている。
このドロボウ呼ばわりした者も、暮夜石を投げた者も、共に世間の風潮に雷同しただけだから、今は自分のしたことは忘れているが、されたほうは忘れない。
完全武装した一大集団を、故なく凌辱するとどうなるか、私たちはそれしきの想像力も持たない存在である。軍縮時代の経験は経験になっていない。人はついに『経験』というものをしないのではないかと、時々私は思うことがある。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)