「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・06・16

2005-06-16 05:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「うろおぼえで恐縮だが、『税金ドロボウにも言わせてくれ』という訴えを読んだことがある。自衛隊員の細君の投書だったと記憶する。自衛隊の評判がたいそう悪かったころ、基地だからつい油断して、制服のまま映画館にはいったところ、隣席の若者がつと立って『税金ドロボウ』と言って他の席に移ったという。」

 「自衛隊が違憲か合憲かというなら、それは違憲にきまっている。けれども憲法は実状にあわなくなれば、いつでも改めることができる。中国もアメリカも何度も改めていることはご存じの通りである。」

 「言うまでもなく自衛隊は軍隊である。それは海上自衛隊が最もよく知る。海上自衛隊が招かれて正式に外国を訪問すると、その国は海軍として迎える。相応の『礼』をもって歓迎するから、はじめて海外へ出た者は、自分が海軍軍人であることを知って驚愕する。」

 「けれどもその旅を終えてわが国へ帰れば、もとのもくあみである。自衛隊は権力の犬であり、税金ドロボウである。」

 「大正のむかし『軍縮』ということがやかましく言われ、すこしばかり軍備縮小したことがある。そのころ軍人は肩身のせまい思いをした。外出するときは軍服を背広に着かえたという。軍人たちは当時のことを深く根にもって、昭和になってその恨みをはらしたという。
 いま少壮の自衛隊員は、そのころとは比べものにならない辱しめをうけている。税金ドロボウと言った若者は、隊員が『何をっ』ととびかかってこないのを承知で言っている。映画館の暗がりをいいことにして、それでもこわいものだから、立って席を移っている。
 このドロボウ呼ばわりした者も、暮夜石を投げた者も、共に世間の風潮に雷同しただけだから、今は自分のしたことは忘れているが、されたほうは忘れない。
 完全武装した一大集団を、故なく凌辱するとどうなるか、私たちはそれしきの想像力も持たない存在である。軍縮時代の経験は経験になっていない。人はついに『経験』というものをしないのではないかと、時々私は思うことがある。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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