今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「ついでながら、私はモダン・リビングで、『動線』とやらをやかましくいうのも、眉つばものだと思っている。リビング・キチンから風呂場へ、風呂場から寝室へ、最短距離で、むだなく、どこへでも行かれるのが、機能的なのだそうだが、たかが十坪や十五坪の豆住宅である。迂回して便所へ行ったところで、何ほどのことがあろう。
私はちっとも損したとは思わない。むやみに動線を倹約するのは、どういう料簡か。
けちか。」
「私はいま、三十余坪の平家に住んでいる。私の部屋から手水場に達するには、端から端まで歩かなければならない。歩いたところで四、五間である。べつだんくたびれることはない。
縁側もむだ、軒の出の深いのもむだ――あらゆるむだをさがしだして、見つけ次第撲滅せずんばやまぬ精神を、私は怪訝に思っている。
私はこの世はむだから成っているとみている。そもそも私が生をうけ、こんにちまで生きてきたのは、むだそのものだとみている。私はむだに終始して、いまだにむだ中に埋没している。どうして区々たるむだを争おうか。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「ついでながら、私はモダン・リビングで、『動線』とやらをやかましくいうのも、眉つばものだと思っている。リビング・キチンから風呂場へ、風呂場から寝室へ、最短距離で、むだなく、どこへでも行かれるのが、機能的なのだそうだが、たかが十坪や十五坪の豆住宅である。迂回して便所へ行ったところで、何ほどのことがあろう。
私はちっとも損したとは思わない。むやみに動線を倹約するのは、どういう料簡か。
けちか。」
「私はいま、三十余坪の平家に住んでいる。私の部屋から手水場に達するには、端から端まで歩かなければならない。歩いたところで四、五間である。べつだんくたびれることはない。
縁側もむだ、軒の出の深いのもむだ――あらゆるむだをさがしだして、見つけ次第撲滅せずんばやまぬ精神を、私は怪訝に思っている。
私はこの世はむだから成っているとみている。そもそも私が生をうけ、こんにちまで生きてきたのは、むだそのものだとみている。私はむだに終始して、いまだにむだ中に埋没している。どうして区々たるむだを争おうか。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)