「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・06・19

2005-06-19 05:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私はときどき外国人になる。外国人になると、わが国のことが、かえってよく分るからである。
 日本に生れて、日本人であることに没頭していると、我を忘れて分らないことがある。」

 「何度もいうが、わが国に新聞は一つしかないのである。今の言葉で言えば、体制べったりの新聞しかないと、外国人なら、十ぱひとからげに評するだろう。
 進歩的なふりをしても、結局は保守的だと、外国人になったものの目には見える。六十年安保では、新聞は反政府的な論陣を張った。当時の全学連やその教師たちの味方をして、岸を倒せ、殺せと書いた。
 正しくは、殺せという声が、デモの渦中からしきりにおこったと報じただけだというだろうが、読者には殺せと言ったのは渦中の人物か、新聞自身かさだかでない。
 そこが新聞のつけ目である。けれどもあんまりたきつけて、瓢箪から駒が出て、本当に殺されては本意ではないから、どたんばで『暴力を排し、議会主義を守れ』と、連名で声明を出した。
 出したら、さしもの大騒ぎも、うそのようにおさまった。この豹変ぶりに、ラジオ、テレビが激怒して、新聞との間に、はげしい応酬があったと聞かないから、ラジオ、テレビも一つ穴のムジナだと分る。
 Aという新聞が高校野球に熱心で、Bという新聞がプロ野球に熱心なのは、野球好きには新聞の相違に見えても、それは真の相違ではない・新聞の新聞たるところでは同じなのだから、わが国にジャーナリズムは一つしかないのである。
 一つしかないから、世論の操縦は自在である。殺せといえばその気になるし、殺すなといえばその気になって、しかも、さし図されてその気になったのではないと、思わせることまで可能なのである。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
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