今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「お察しの通り、私は人類を万物の霊長だと見てない。他の生きものと同等に見て、次第に他より劣った存在だと知るにいたった。どこが劣っているかここでは書き尽せないが、何よりそれは美しくない。
一匹の虎は、檻にとらわれていてさえ美である。いつまでながめて飽きることがない。一挙手一投足は柔軟で、優美で、息づいているだけで美しい。それは鑑賞にたえる。
ところが人類は、私が同類としての贔屓目で見ても、美しくない。男の裸体の如きは見るにたえない。他のいかなる哺乳類のそれに及ばない。
わずかに女の裸体は美だと、なが年言いはるものがあるが、色情をもって見るからそう見えるだけである。虎は色情を去って見ても美しいが、人類の女は美しくない。
私は犬になってそれを知った。犬はまる裸の女を見ても発情しない。かねてなじみの人類だから、何かえさでもくれるかと尾をふるのみである。
私は人間より犬や虎――さらにさかのぼって蟻や蜂に親しみと敬意を持っている。けれども、彼らもまた生きものである。生きものなら、人間に似た弱点を持つ。
弱点の随一は移動することである。蟻や蜂はせっせと移動する。移動すればろくなことはない。他の集団と遭遇して、争うこともあろう。
諸悪は移動することから生じる。ことに人は、自動車で、飛行機で、移動する時間を短縮すること狂気のようで、短縮したことを自慢しているが、むろんあれは憂うべきことで、自慢すべきことではない。
小国寡民――と、少年のとき私は読んだ。国は小さく、人は寡いがいいという説である。その国では舟があっても乗る人がない。甲冑があっても着る人がない。鶏や犬の声が聞えるほどの近所にも行く人がない。
隣国相望み、鶏犬の声相聞え、民老死に至るまで相往来せずと読んで、私は肝に銘じた。いまだに銘じて、近ごろホモモーベンスと称して、人は移動する生きものだとそそのかすものがあるのを苦々しく思っている。食べものがあるかぎり、人は動かないほうがいいと信じている。
動かぬものの極は植物か。生きもののなかで、植物は自分から出張しない。なん年でも、なん百年でもじっと突ったっている。移動して争うということがない。
だから、私は植物を最も尊敬している。それにあやかって、ときどき一本の木になる。街道に立つ木になって、はるかにながめると、人や車が通りすぎる。」
「『変身』という名高い小説がある。ある朝めざめたら、わが身が巨大な虫になっていたという怪しい物語である。
むしろ私は、人に生れ、人に終始する人間たちに、蟻に蜂に木に草になれとすすめたい。すすめて甲斐ないと知りながら、せめて、たまには犬になってみてごらんとすすめたい。」
(山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
「お察しの通り、私は人類を万物の霊長だと見てない。他の生きものと同等に見て、次第に他より劣った存在だと知るにいたった。どこが劣っているかここでは書き尽せないが、何よりそれは美しくない。
一匹の虎は、檻にとらわれていてさえ美である。いつまでながめて飽きることがない。一挙手一投足は柔軟で、優美で、息づいているだけで美しい。それは鑑賞にたえる。
ところが人類は、私が同類としての贔屓目で見ても、美しくない。男の裸体の如きは見るにたえない。他のいかなる哺乳類のそれに及ばない。
わずかに女の裸体は美だと、なが年言いはるものがあるが、色情をもって見るからそう見えるだけである。虎は色情を去って見ても美しいが、人類の女は美しくない。
私は犬になってそれを知った。犬はまる裸の女を見ても発情しない。かねてなじみの人類だから、何かえさでもくれるかと尾をふるのみである。
私は人間より犬や虎――さらにさかのぼって蟻や蜂に親しみと敬意を持っている。けれども、彼らもまた生きものである。生きものなら、人間に似た弱点を持つ。
弱点の随一は移動することである。蟻や蜂はせっせと移動する。移動すればろくなことはない。他の集団と遭遇して、争うこともあろう。
諸悪は移動することから生じる。ことに人は、自動車で、飛行機で、移動する時間を短縮すること狂気のようで、短縮したことを自慢しているが、むろんあれは憂うべきことで、自慢すべきことではない。
小国寡民――と、少年のとき私は読んだ。国は小さく、人は寡いがいいという説である。その国では舟があっても乗る人がない。甲冑があっても着る人がない。鶏や犬の声が聞えるほどの近所にも行く人がない。
隣国相望み、鶏犬の声相聞え、民老死に至るまで相往来せずと読んで、私は肝に銘じた。いまだに銘じて、近ごろホモモーベンスと称して、人は移動する生きものだとそそのかすものがあるのを苦々しく思っている。食べものがあるかぎり、人は動かないほうがいいと信じている。
動かぬものの極は植物か。生きもののなかで、植物は自分から出張しない。なん年でも、なん百年でもじっと突ったっている。移動して争うということがない。
だから、私は植物を最も尊敬している。それにあやかって、ときどき一本の木になる。街道に立つ木になって、はるかにながめると、人や車が通りすぎる。」
「『変身』という名高い小説がある。ある朝めざめたら、わが身が巨大な虫になっていたという怪しい物語である。
むしろ私は、人に生れ、人に終始する人間たちに、蟻に蜂に木に草になれとすすめたい。すすめて甲斐ないと知りながら、せめて、たまには犬になってみてごらんとすすめたい。」
(山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)