今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「相撲に八百長はつきものである。この一番に勝てば、出世するときまった勝負なら、勝は譲ってやるものである。
そのかわり、自分の大事な一番には譲ってもらう。
相撲は相手が一人だから、見あったときに内心が分る。ただ、客に分ってはいけないから、用心する。はげしく
もみあって、その上で譲る。
野球は相手が大ぜいだから、一人が承知しても八百長はできない。二人、三人、四人が承知しても、できるとは
かぎらない。首尾よく勝ったが、それは八百長のおかげか、本当に勝ったのかよく分らない。」
「同じプロでもプロレスは、しばしば息も絶え絶えになるが、本当に絶えたためしはない。あれは見世物だと選手も
見物も心得て、神聖視するものはない。八百長があっても怪しまない。そもそも全部八百長と承知して、その上で
見物している。
プロ野球とプロレスを同列に論じると立腹する人がある。野球は神聖で、プロレスは神聖でないと思っているの
だろう。相撲はそのまん中あたりにいるようだ。国技と称し、ありがたく思わせようとしたことがあるが、うまく
いかなかった。
相撲とりは芸人である。芸人なら客の玩弄物である。抱え力士といって、むかし力士は殿様に抱えられた。明治
以来、華族や金持が殿様のかわりになった。今はそれが企業にかわった。」
「マスコミは高校野球が神聖なら、その上の大学野球も神聖で、それらの卒業生から成るプロ野球も神聖だと
いうことにした。選手はすべて人格者で、八百長なんかしないことにした。」
「選手はもともと酒好き女好きばくち好きの、ただの男にすぎない。私は人生に八百長はつきものだと
思っている。遅かれ早かれ子供はそれを知らなければならない。
相撲に八百長があると知ったら、子供は傷つくだろうか。野球にもあると知ったら傷つくだろうか。
これしきのことに傷つくなら、傷つくがいい。手にあせ握った一番が、あとで八百長だと知ったら、
青くなる子もあろう。なってその力士を、または選手を応援しなくなる子もあろう。けれども応援すること旧の
ようで、実は玩弄物として見るようになる子もあろう。
子供を全く無傷で育て、子供のまま大人にしようとは出来ない相談である。それは教育ママ的
発想の極致で、本来男親の知ったことではない。
おんば日傘で育って、はたちをすぎて世間へ出て、にわかにどっと傷つくより、人は早く徐々に傷ついたほうがいい。
すくなくともそのほうが自然である。
八百長は必ずしも悪事ではない。この世はもっと本式の悪事に満ちたところである。
それを知って悪に染まないのと、知らないで染まないのとでは相違する。いうまでもなく、知って
それをしないのがモラルである。」
(山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
「八百長」について、フリー百科事典「ウィキペディア」には次のように記述されています。
「 大相撲の隠語で、八百長は『注射』と呼ばれ、逆の真剣勝負は『ガチンコ』と呼ばれる。
対戦者の一方のみ敗退行為を行う場合は『片八百長』『片八百』と呼ばれることがある。」
「 由来:
八百長は明治時代の八百屋の店主『長兵衛(ちょうべえ)』に由来するといわれる。
八百屋の長兵衛は通称を『八百長(やおちょう)』といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と
囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上
の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。
しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負
をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせな
がら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。
2002年に発刊された日本相撲協会監修の『相撲大事典』の八百長の項目では、おおむね上記の
通りで書かれているが、異説として長兵衛は囲碁ではなく花相撲に参加して親戚一同の前でわざと
勝たせてもらった事を挙げているが、どちらも伝承で真偽は不明としており、『呑込八百長』とも
言われたと記述されている。
1901年10月4日付の読売新聞では、『八百長』とは、もと八百屋で水茶屋『島屋』を営んでいた
斎藤長吉のことであるとしている。 」