「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

身すぎ世すぎ 2005・06・25

2005-06-25 05:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「出版業は自分で企画して、自分で実現して、自分で広告して、自分でその結果を手のなかで見ることができる今は数少ない

 商売の一つである。たいていの職業は分業の極に達して、企画から完成まで、その一部始終を見ることはできない。まして、

 手にとって見ることはできない。

  どんな職業にもとりえはあるもので、これが今はめったにないとりえで、もし才知があれば、縦横に発揮することができよう。

 だから、この世界ほど独創が珍重されるところはないという。

  けれども、それは表向きの話である。裏にあるのは模倣ばかりである。

  全十巻の百科事典が、甲社から出たかと思うと、乙社から出る。丙社から出る。彼らが企画と称するものは、自分の頭から

 出るものではない。ひとの頭から出るものである。

  明治大正昭和の代表的な詩人の全集が、A社から出たかと思うと、B社から出る。C社から出る。時を同じくして出る。

 模倣にしては早すぎる。盗みではないかと私は思うが、彼らは思わない。

  思ったら盗みは悪事で、悪事なら悔い改めなければならないからである。思ったら飯の食いあげになることを、人は思わない。

  A社の全集とB社の全集の体裁上の相違を本質的な相違だと言いはって、かくて再び出版は文化的で独創的な事業になる。

 たいていの商売は自分を飾るから、私はそれをとがめないが、ただ、それに従事したことを自慢しない。

身すぎ世すぎだと思っている。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
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