今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「出版業は自分で企画して、自分で実現して、自分で広告して、自分でその結果を手のなかで見ることができる今は数少ない
商売の一つである。たいていの職業は分業の極に達して、企画から完成まで、その一部始終を見ることはできない。まして、
手にとって見ることはできない。
どんな職業にもとりえはあるもので、これが今はめったにないとりえで、もし才知があれば、縦横に発揮することができよう。
だから、この世界ほど独創が珍重されるところはないという。
けれども、それは表向きの話である。裏にあるのは模倣ばかりである。
全十巻の百科事典が、甲社から出たかと思うと、乙社から出る。丙社から出る。彼らが企画と称するものは、自分の頭から
出るものではない。ひとの頭から出るものである。
明治大正昭和の代表的な詩人の全集が、A社から出たかと思うと、B社から出る。C社から出る。時を同じくして出る。
模倣にしては早すぎる。盗みではないかと私は思うが、彼らは思わない。
思ったら盗みは悪事で、悪事なら悔い改めなければならないからである。思ったら飯の食いあげになることを、人は思わない。
A社の全集とB社の全集の体裁上の相違を本質的な相違だと言いはって、かくて再び出版は文化的で独創的な事業になる。
たいていの商売は自分を飾るから、私はそれをとがめないが、ただ、それに従事したことを自慢しない。
身すぎ世すぎだと思っている。」
(山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
「出版業は自分で企画して、自分で実現して、自分で広告して、自分でその結果を手のなかで見ることができる今は数少ない
商売の一つである。たいていの職業は分業の極に達して、企画から完成まで、その一部始終を見ることはできない。まして、
手にとって見ることはできない。
どんな職業にもとりえはあるもので、これが今はめったにないとりえで、もし才知があれば、縦横に発揮することができよう。
だから、この世界ほど独創が珍重されるところはないという。
けれども、それは表向きの話である。裏にあるのは模倣ばかりである。
全十巻の百科事典が、甲社から出たかと思うと、乙社から出る。丙社から出る。彼らが企画と称するものは、自分の頭から
出るものではない。ひとの頭から出るものである。
明治大正昭和の代表的な詩人の全集が、A社から出たかと思うと、B社から出る。C社から出る。時を同じくして出る。
模倣にしては早すぎる。盗みではないかと私は思うが、彼らは思わない。
思ったら盗みは悪事で、悪事なら悔い改めなければならないからである。思ったら飯の食いあげになることを、人は思わない。
A社の全集とB社の全集の体裁上の相違を本質的な相違だと言いはって、かくて再び出版は文化的で独創的な事業になる。
たいていの商売は自分を飾るから、私はそれをとがめないが、ただ、それに従事したことを自慢しない。
身すぎ世すぎだと思っている。」
(山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)