今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私は人類を、文明の七つ道具を作る専門家と、それで身をかためた大衆に分けた。そして大衆は昔ながらの野蛮人だと言った。それなら専門家は文明人かというと、やっぱり野蛮人なのである。
今は分業の時代である。エンジンの専門家は、テレビにかけては素人である。テレビの専門家は、反対に自動車にかけては、素人である。エンジンのことならよく知っても、ほかのことなら芋の煮えたのもご存じない。話して互にちんぷんかんぷんである。算術の大家は、法律にかけては赤子も同然である。
知らなくてよいと言う。各界にそれぞれに詳しい専門家がいて、必要に応じて彼らを招集すれば、それで足りると言う。彼らの知恵を、まとめて動かすプロデューサーのごときがいればいいのである。
誰がそのプロデューサーか知らないが、世界はある方角にむかって進みつつある。その一つが時空を絶する方角である。」
「私は原水爆を作る知恵――科学技術は、カーを、クーラーを、その他を作る知恵のてっぺんにいる知恵だと言ったことがある。その末端にあるカーをクーラーをテレビを享楽して、てっぺんの原爆だけ許すまじと歌っても、そうは問屋がおろさぬと言ったことがある。
時空を絶する知恵は、言うまでもなく右の仲間である。仲間でありながら、分業が極に達して、互にちんぷんかんぷんなだけのことである。
そして、カーを操縦するものが野蛮人なら、原水爆を保管するものも同じ人であることをまぬかれない。操縦するものは作ったものと別人で、その別人の根底を動かすのは、昔ながらの、未開人のわがまま勝手と、嫉妬心と、恐怖心とである。あるいは他をしのごうとする欲心である。」
(山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
「私は人類を、文明の七つ道具を作る専門家と、それで身をかためた大衆に分けた。そして大衆は昔ながらの野蛮人だと言った。それなら専門家は文明人かというと、やっぱり野蛮人なのである。
今は分業の時代である。エンジンの専門家は、テレビにかけては素人である。テレビの専門家は、反対に自動車にかけては、素人である。エンジンのことならよく知っても、ほかのことなら芋の煮えたのもご存じない。話して互にちんぷんかんぷんである。算術の大家は、法律にかけては赤子も同然である。
知らなくてよいと言う。各界にそれぞれに詳しい専門家がいて、必要に応じて彼らを招集すれば、それで足りると言う。彼らの知恵を、まとめて動かすプロデューサーのごときがいればいいのである。
誰がそのプロデューサーか知らないが、世界はある方角にむかって進みつつある。その一つが時空を絶する方角である。」
「私は原水爆を作る知恵――科学技術は、カーを、クーラーを、その他を作る知恵のてっぺんにいる知恵だと言ったことがある。その末端にあるカーをクーラーをテレビを享楽して、てっぺんの原爆だけ許すまじと歌っても、そうは問屋がおろさぬと言ったことがある。
時空を絶する知恵は、言うまでもなく右の仲間である。仲間でありながら、分業が極に達して、互にちんぷんかんぷんなだけのことである。
そして、カーを操縦するものが野蛮人なら、原水爆を保管するものも同じ人であることをまぬかれない。操縦するものは作ったものと別人で、その別人の根底を動かすのは、昔ながらの、未開人のわがまま勝手と、嫉妬心と、恐怖心とである。あるいは他をしのごうとする欲心である。」
(山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)