徒然写真帳

郡上でX人で始めたブログです。管理人の転居により、下呂、美濃、岐阜、恵那、下呂を経て一宮発のブログに!

よいお年をお迎えください。

2012-12-31 13:49:01 | Weblog
 今日の午前中は、斐太後風土記の中呂郷羽根村に記載されている飫備池(おびのいけ)は本当にあるのか?と思い散歩がてら行ってきました。
 結果は、池といえるような状態では無いですが、実在していました!!このことは年明けに書くこととします。
 さて、今年も延々と飽きもせずブログを、やり続けました。
 自分でも不思議なぐらい続いています。
 今年の前半は、昨年の11月に、やってしまった剥離骨折の影響で、思うように山歩きすることができませんでした..
 夏ぐらいから足の調子も良くなり歩くこと問題が無くなり、いつものペース。
 嫌なことだけでなく、今年買った自転車は、予想していたより楽しく、旅の幅が広がったと思います。
 夏の楽しみのアユ釣りは長良川の不漁の影響で釣果は伸びなかったのですが、十分楽しめたかな?
 数は少ないですが、徒然写真帳を見ている人もいるので、来年もダラダラと続けていこうと思っています。
 それでは、良いお年をお迎えください。
 私は、毎年のことですが実家で新年を迎えます。この期間はネット依存の生活を断っていますので、再開は1月3日か4日ぐらいからボチボチと開始しようと思っています。(管理人)


                      多気宿にある北畠神社の天狗です。
                      


                      


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引本港

2012-12-31 13:25:07 | Weblog
 29日の旅の終わり立ち寄った引本港は、予想していたより大きな漁港。
 数多くの漁船が並び、防波堤で、釣りをしている人達が数多くいました。
 漁港に入った時、鰹節の香りが漂う中、港をブラブラとしました。
 港では、第2の人生を謳歌している方に声をかけられ、かつての引本の賑わいの話を聞いた後に、少しだけ町を歩いたのですが、昭和の雰囲気が漂い、面白そうな町だな~と思いました。(管理人)



                        


                        


                        


                        こんな雑貨屋さん、見なくなりましたね~
                        

                        釣りをする少年
                        

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米寿の祝い

2012-12-31 00:47:14 | Weblog
 須賀利の集落で、いくつかの家の窓に手形の紙が貼られています。
 「何で手形が貼ってあるんだ?」という会話を、しながら集落の中を歩きます。
 そんな時に、須賀利港にいた、おじぃさんに、ふりかけさんが「家の前にある手形は何ですか?」おもむろに聞きます。
 手形の理由は、米寿の祝いに手形を近所に配るんだとのこと、もらった人は、家の前に貼ると縁起がいいということだそうです。
 話を聞いて、よい風習だなと思いました。
 集落の中を歩くと、色々な形の手が見ることができます。
 これは、長生きの集落だな~と思いながら。
 そんな中で、気になった手形が、手は小さいが、がっしりと太い指の手形。
 恐らく漁師だった方の手かな?と思いながら写真を撮りました、本来の手形は左下に名前が書かれているのですが、一応、ブログです。ネット上に勝手に名前を公開してはいけないと思い、名前を入れないよう気をつけました。
 そんな話は、さておいて、手は、その人の人生を表すな~と思いながら、数多くの手形を見ながら思いました。
 遅れているとはいえ、一次産業も機械化が進んできました。
 写真のような、手にお目に掛かるようなことも希となってきていますので、今の時代を生きる私たちより若い世代では、手で人生を語ることはできない~と漠然と思います。
 私が、社会人をスタートさせたのは、山仕事ですが、20年近く前には、仕事の経歴を手で語っている人が、数少ないですがいたことを思い出させた須賀利の手形でした。(管理人)


                            


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須賀利

2012-12-31 00:44:36 | Weblog
 尾鷲市須賀利町は、今年の歩き納めで、最も関心を持った集落です。
 行く場所については、紀伊半島がいいと言っただけで他人まかせ。
 事前の情報は、ほととんど無く行ったので、驚きの連続。
 帰宅後の今日、ネットで見ていて知ったことも多数です。
 この、須賀利町は、尾鷲市ですが、尾鷲の中心街へは陸路では紀北町を通らないと行けないところです。
 今の状況から見ると何故?と思いますが、歴史をひもとくと頷けます。
 この、須賀利町は1982年に、県道が開通するまでは、歩きか、船でしか行くことができなかった陸の孤島と言われた集落だたのです。
 ただ、色々と歴史を見てみると孤島と言われた時代は、車社会になってからのことで、それ以前は海路として重要な場所であったことが分かります。
 江戸時代には江戸と大阪を結ぶ、重要航路の一画で、荒天時に逃げ込む港のある集落で豊であり、須賀利から出て行かなくても生活ができたそうです。
 海運と漁業の集落である須賀利の交易の主力は船であったため、昭和の大合併の時には船で25分ほどで行ける尾鷲と一緒になったほうが有利であったことが伺えます。
 こういった歴史を見ると尾鷲市ということが頷けます。
 当然、尾鷲との結びつきは強く、巡航船が重要な交通の要であったのですが、30年前に車が走ることが、できる道路ができ、陸路で行ける、旧の海山町との結びつきが、次第に強くなったのと、高齢化により、巡航船の利用者が減り、三ヶ月前に廃止されたとのことです。
 もう少し早ければ、船で尾鷲まで渡るという、風情のある旅ができたのに・・・ちょっぴり悔しい気分になりました。
 そんな、須賀利の先日の様子は、漁船には正月飾りがされていて正月を迎えるばかりの状況となっていて、年の瀬を感じさせてくれました。
 また、集落の大きさの割に商店が多いに驚かされました。
 集落もこじんまりとしていて良い雰囲気です。
 30年前まで車が、無かった集落である須賀利は、独自の文化も残っていているということで、再度、訪れてみたい集落です。
 今度、訪ねる時は、自転車で行ってみたいと帰宅後の今日漠然と思いました。
 最後に、昨日、出会った方が、子供時分に寺倉峠を越え矢口まで遊びに行ったという話が印象に残っています。
 その当時、子供だけで、隣の集落へ行くことが、ものすごい冒険で楽しいことだったんだろうなということが、帰宅後、少しだけ調べた須賀利のことで、少しだけ理解できたような気がします。(管理人)



                    



                    



                    



                    


                    人口のわりに商店が多かったです。
                    


                         

                    


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