徒然写真帳

郡上でX人で始めたブログです。管理人の転居により、下呂、美濃、岐阜、恵那、下呂を経て一宮発のブログに!

顎骨嚢胞

2020-01-12 18:09:32 | Weblog
 昨年末、突如顔が腫れあがり歯医者を受診したところ顎骨嚢胞が発見され、歯科医師から口腔外科に行くよう行かれ行ったところ、顎骨嚢胞の原因となっている親不知と顎骨嚢胞を摘出手術をすることになり、先週の1月7日~11日の間、入院し昨日無事に退院できました。
 入院する前、病院の説明で自家用車で行き入院中は駐車場に車を置いておいていいですか?と聞いたところ、しばらく無言で「ダメでは無いですが、自己責任で」と言われました。
 言われてみて入院患者が自家用車で来るなんでことは想定されていないことを悟り、ひょっとする予期せぬトラブルになると思い自家用車で行くのを諦め公共交通機関で行くことを考えたのですが、なかなか不便・・・、距離を調べると10キロをきるぐらい。こりゃ歩いても公共交通機関で行っても大差ないなと思い中津川市にある病院まで歩いて行くことにしました。
 行きは元気なので、ちょっと距離の長い散歩だなと思っていたのですが昨日退院してから自宅して歩こうと歩きだしたら自分の体が自分で無いようで、ちょっとした坂でも息があがる・・・
 歩きだして、手術前に4泊5日だけど全身麻酔をするし、嚢胞も大きいから大変な手術になりますよと言われた意味がよく分かりました。私が思っていたより体のダメージは大きかったのです。
 そんな入院記をブログに書き残してやろうと思いパソコンに向かっています。

1月7日 第1日
 前日、歩くルートを検討したところ10キロほどに2時間強になるけど、まぁいいや!と思い病院が指定する10時に間に合うようデイパックを背負って病院に向け出発。
 入院セットをレンタルできることから荷物がコンパクトにできるのが有難いな~と思いながらブラブラと歩き、10時直前に到着しました
 
 入院手続きを終え病室に通されたところ脳卒中の方の処置で医師や看護師や親族の方々が入れ替わり立ち代わりやってくる状況。これは大変なところへやってきたな~と思っていたところ歯垢とりや手術室での処置の説明をうけ病室の外にいる間に脳卒中の方は病室を変わられ静かになっていました。
 これなら明日の手術に向けゆっくり眠られると一安心。
 昼と夜も食事が出て読書もじっくりでき穏やかな気分で夜が更けていったのですが緊張のためかあまり眠れず・・・

1月8日 第2日
 いつものように朝5時に目覚め病院内を彷徨うが、あたりまえだが面白くない。
 12時以降食事ができず7時からは水分もとれなくなるので6時半に自販機で暖かいお茶を買いゆっくり飲み手術に備えていたら看護師さんがやってきて手術前にシャワーでも浴びる?手術後は入れないし気分転換にもなるからとすすめられシャワーを浴びる。
 前日の説明どおり9時55分に手術室に看護師さんと向かう、手術室に入り前日の説明通り淡々と作業が進められ麻酔薬の点滴が始まって、次に聞こえたのが部屋に帰りますよという看護師さんの声。全身麻酔だったので本当に何があったのか分からない。
 病室の戻り告げられたのは「今12時40分、3時40分まで酸素マスクをつけ安静にしていてください」 あれ?事前の説明では11時半ぐらいには病室に戻ると言われたのと治療計画書には安静は1時間半と書かれていたのに何で?です。
 今考えると嚢胞が大きく手術に時間がかかり全身麻酔をかける時間も長かったことから安静時間が伸びたのだな~と思いますが、その時は話が違う!と少々疑心暗鬼に・・・
 その後医師が事前の説明どおり親不知と嚢胞の摘出ができましたということなので良しとしようと気持ちを落ち着かせるというか、つらくてジッとしているしかない。
 でも3時間の安静も大半が眠っていたのであっという間に3時40分になり酸素マスクが外され、看護師さんが水分がとれるけどどうする?と言われ、私即答で飲みます!と蛇口に向かい水を飲もうとすると、看護師さんが「ちょっとまって、口を濯いでから飲まないとダメだよ」私「何で?」看護師さん「口の中血まみれだから」その言葉を聞いて口をゆすぐと血で真っ赤・・とりあえず血を流し水を飲むと看護師さんが口の中を見せてというので見せると「血は止まっているみたいね」と言われましたが実際には完璧に止まっておらず出血は翌日まで続く状態。
 でも痛みは思ったほどでは無かったですが唇がしびれ感覚が無い。そのことを医師に伝えると神経への影響があるようなので神経回復の薬をつけとくねと一言
 その後は止血剤と抗生剤の点滴につながれたまま日がくれていき手術日が終了。
 体がつらいのは当然でしたが、流動食の晩御飯を見て愕然とします。一応ご飯の汁、みそ汁すべてが汁になっていて味もしますが全然美味しくない・・・何だか惨めでした

1月9日 第3日
 抗生剤の点滴につながれたまま朝を迎え出てきたご飯はお粥と刻み食。
 食べても全然美味しくないですが手術で体のダメージを受けているためか食べるのもやっと。
 昼過ぎにようやく点滴が終わりホッとします。
 前日の9時から点滴でしたので実に28時間ほど点滴に繋がれていたことに。
 でも点滴が無くなった時は本当にうれしかったですね。
 点滴が終わって直ぐに看護師さんがシャワーが空いているから浴びてきたら?と言われ浴びてきたら本当に気持ちがよい。
 この日になると看護師さんたちが一様に「思ったより顔が腫れていないね」というのです。
 自分自身はえらい腫れているのだけどと思っていたのですが何でだろう?
 今になって考えると手術が長引いていたことは皆さん知っていて恐らく相当腫れるだろうと思っていたんだなと思います。
 夕方、執刀していただいた先生がやってきて嚢胞が大きかったので残された顎骨が大変弱い状況なので硬いもの、噛み切れないもの、リンゴの丸かじり、激しい運動はしばらくしないようにと注意され術後の大変さを実感。

1月10 第4日
 朝の診察の時間に前日の執刀された先生が書いた退院後の治療計画があり激しい運動はどういった運動ですか?と聞いたら管理人さんは山登りするんだよね?歯を食いしばらなければ大丈夫だよ、あんまり無理しないでと言われます。
 私は何で山登りをすることを知っているんだ?と。
 そういえば前日の晩、病院に持ち込んだ岳人を読んでいたところ看護師さんが「管理人さん山登るの?」「登るよ」「この病棟にも山登る人結構いるよ」「そうなの?」と会話しました。
 そのことが記録されていたのを医師が見ていたというわけ。 
 こんなことまで記録されているんだ。迂闊なことは言えないなと思った一方で連携がとれている良い病院だなと思いました。
 ただ4日目になると特に何かあるわけではなく午後になると頻繁に訪れていた看護師さんの姿も無く静かに日がきれていきました

1月11日 第5日
 朝の診察を終え。
 医師から予定通り退院ですと告げられ。手続きを終え午前11時に病院をあとにしました。
 流石に体が辛かったので公共交通機関で帰ろうと思ったのですが土曜日なので全然ない・・・中津川駅行きのバスが2時間後にしかない。
 これなら歩いていけるじゃないかと思い歩き出しますがちょっとした登りで息があがる。
 といっても歩けないわけではないのでアルプスにでも登っていると思えばよいと思い歩き帰宅しました。

 帰宅後は、再び荷物をまとめなおし実家に帰り現在養生中というかリハビリを兼ね本日は少しサイクリングをして体力の回復に努めているところです。


 そうそうこの嚢胞は親不知が原因です。
 残している人は早くとったほうがよいですよ大変です。



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コメント (4)
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