と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

2月10日(金)のつぶやき

2017年02月11日 04時59分44秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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「町医者だから言いたい!」長尾和宏さん 連載2000回記念動画

2017年02月10日 08時30分57秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
今日の動画をリンクさせていただいた長尾和宏医師。
まさに大事なことを教えていただきました。



2015/11/18 に公開

アピタルの人気コラム「町医者だから言いたい!」でおなじみの医師・長尾和宏さん。
連載が2000回を迎えたのを機に、心境などを聞きました。

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「町医者だから言いたい!」長尾和宏さん 連載2000回記念動画

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施設で亡くなったおじいさんが 看護師に宛てた「1通の手紙」に 人生観が変わる

2017年02月10日 08時25分22秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
ボキにとって、大事なものはなんだろうかと自問自答しています。

>私を見る時、あなたは何を考えていますか?風変わりで愚かな老人。何を考えます?何が見えますか?目を開けて見て下さい。あなたは見てないでしょう。

ボキも風変わりで愚かな老人だけど。

 


2016/01/16 に公開

施設で亡くなったおじいさんが看護師に宛てた「1通の手紙」に人生観が変わる

高齢化社会が深刻化しているのは世界共通の問題です。各国の病院や施設は高齢者で満たされています。悲しいことに、彼らの家族の多くが、お年寄りを施設に入れたまま。

お正月も夏休みもクリスマスにも面会には訪れず、電話もできす高齢者を忘れていることです。故に、施設に勤める職員たちは、ひとりひとりの患者の状況を把握することができないほど多忙なのです。

施設で暮らす高齢者たちは、首を長くして家族からの電話を待ちわびます。涙をこらえるほど心に深い何かを感じているのです。Mak Filiser氏もまた、そのひとりでした。

「風変わりな老人」と呼ばれる彼が老人施設で亡くなった時、彼の部屋が空き部屋となり、整理している時のことでした。看護師のひとりがこの手紙を発見したのです。

看護婦さん、何が見えますか?

私を見る時、あなたは何を考えていますか?

風変わりで愚かな老人。

行動も読めず遠い目で?

食べ物をこぼし何も答えもしない。

大声で「自分でしたら?」というあなた。

でも、私は気づいていない様子。

靴下や靴がいつもなくなる?

いつも抵抗し意に沿わない。

お風呂も食事もある長い一日だっていうのに?

何を考えます?何が見えますか?

目を開けて見て下さい。あなたは見てないでしょう。

私はここにじっと座って誰なのかあなたに話します。

命令を聞きながら、食べさせられながら。

私は10歳の小さな子ども。
父と母、兄弟と姉妹と共に愛されて育ちました。

私は16歳の少年。
足に翼が生え、将来出会う恋人を夢見ています。

新郎になる20歳の頃。
心が踊り、結婚の誓いを必死に覚えています。

25歳で子どもが生まれ、教えることを学び、楽しい家庭を守ります。

私は30歳。
子どもはすくすく成長し、夫婦の絆が固くなり、それは永遠に続かなければなりません。

40歳で若い息子はなくなります。
しかし、私の最愛の妻がそばにいます。だから淋しくなんかない。

50歳。今度は孫が私の膝のまわりに纏わりつきます。
でも、妻と私は子どもを育てることに慣れているから大丈夫。

暗黒の日が訪れ、最愛の妻がなくなる。

将来を考えて恐怖に怯えます。

子どもたちは孫を抱え、過ぎた年月と愛について考えます。

今の私はただの老人です。

自然とは残酷なものです。

老いていくことは自然なこと。

意地悪なことに老いたものを愚かに見せる。

体は砕け、優雅さと活力を失い、かつて心臓があった場所に石があります。

でも、この老いた体の中には青年の心が宿ります。

そして時々、私のボロボロの心臓が膨れ上がります。

私は喜び、痛みを覚えています。

愛することと生きることを再び体験します。

私は人生を振り返ると、あまりに早くて短くて、、、

永遠が無いという厳しい事実を受け入れなければなりません。

だから、あなたたちは目を見開き見て下さい!

風変わりな老人ではない。

見て下さい私を!



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施設で亡くなったおじいさんが 看護師に宛てた「1通の手紙」に 人生観が変わる

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親の「老い」を受け入れる

2017年02月10日 08時20分48秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
老いるということを見つめていきたい。
4月からのボキの生涯学習ごっこの課題。
死生学とか、老年学とか、ターミナルケアとかこの7年間勉強させていただいた。生涯学習ごっこで。ある大学院で修士(人間学)もとらせていただいた。
さらに、やってみたいことがこれである。
老いと死。
まさに喫緊の課題。




2016/01/12 に公開

『親の「老い」を受け入れる ~下町医師とつどい場おばはんが教える、認知症の親をよくする介護』長尾和宏×丸尾多重子著(ブックマン社刊)より、長尾和宏医師による優しくて泣けるポエム。
人生の黄昏時を一緒に考えましょう!

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親の「老い」を受け入れる

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映画『まなざし』予告編 見たいですねぇ。

2017年02月10日 08時15分20秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
この映画見てみたいですねぇ。
他人事ではないから。
誰しも、人生に終わりが来るのだから。



2016/08/31 に公開

性犯罪加害者を題材にした『scope』などの卜部敦史監督が放つヒューマンドラマ。長い服役を終えて出所した父の介護をする中年女性に押し寄せる辛い現実や、その中で見いだす希望を描く。ベテランの根岸季衣や山崎満をはじめ、入江崇史、松永拓野、矢崎まなぶらが顔をそろえる。誰もが経験することになる老いと死を深く見つめた物語に、何かを突きつけられ、考えさせられる。
http://www.cinematoday.jp/movie/T0021357
http://www.manazashi-thelook.com/
(C) 2015『まなざし』製作委員会

 

映画『まなざし』予告編

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2月9日(木)のつぶやき

2017年02月10日 04時56分14秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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「***文芸賞で審査員やってるんだねぇ?」と珍物でも見るような目で言われたから

2017年02月09日 08時12分30秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

 ボキの所属については、「老人大学の生徒であって、しかもすこぶる出来の悪い超劣等生ですから、センセと呼ばないで」と言ったわけである。年金生活者でも、アルバイトでもなんでも良かったのだが。

 

 

どうもこうも最近NHKのラジオ講座(英語)を聞いていても、アタマに入ってこない。最近というのはおこがましいか(^_^)。ずっと以前からそうなんだけど、特に最近という意味である。これじゃぁ、塾も退学じゃなくて退職だわなぁ~~~。塾でやっていて、一問でもできなかったら退職するというのはずっと思ってきたから。思うだけでナシに、周囲にも公言してきたし。塾の生徒にもそう言ってあるから。

そりゃそうだ。教えるだけの実力がなければ去っていくだけである。そのあたりは真剣に考えないとアカン。それくらいの常識はボキでも持っているのじゃよん。

でも、昨日の老人大学で隣町の御仁から「***文芸賞で審査員やってるんだねぇ?」と珍物でも見るような目で言われたから、こっちがびっくりしたのだ。来月4日の土曜日に居住地にある県立の文化会館でセレモニーが予定されている。それでポスターができていて、それが老人大学に回ってきたというわけである。その御仁の住んでいる町にも回ってきたと言っていた。

そのポスターにボキの名前が書いてあったのだが、問題は他の審査員の方々の肩書きである。教育委員会のナントカとか、文化財審議委員だとか、大学の教授とかたくさんおられたのである。

つまり、ボキの肩書きも老人大学の正式名で書いてあったのだが、それが「生徒」とは書いていないのである。大学教授の先生と並んで書いてあったのである。だから、まるで老人大学のセンセみたいだなぁとその御仁と笑いあっていたのだ。ホントに笑ってしまうのじゃ。ボキは、老人大学でも超劣等生である。いつ強制退学させられるかと怖れおののいて、この二年間過ごしてきた羊のような弱者である。

審査員会議でも、事務局のメンバーが「・・センセ」とボキのことを呼ぶから止めてくださいなと申し上げたのである。ボキだけセンセではないからである。そのことだけは、シビアに自覚していないとアカンからである。ボキは、「老人大学の生徒であって、しかもすこぶる出来の悪い超劣等生ですから、センセと呼ばないで」と言ったのじゃ。

そもそもセンセと呼ばれる程の実績もなにもナイ。なんにもナイ。あるわけない。惚け防止で生涯学習ごっこをやっているだけであるから。

それでも怖い。

なにがというと惚けである。だから毎朝のNHKラジオ講座は、ためになるのである。ボキの惚けの程度を確認する上でも。

記憶できるか、できたかということで。

中国語もできねぇし、まったくまったく不幸を絵に描いたようなジジイでございますよん。

 

今日は、朝から雨が降っている。

(*_*) マイッタねぇ。

Walkingは室内になってしまうからである。

しょうがねぇから、ショッピングセンターでも行ってくるか。やることないから。図書館でもいいな。ただし、歩いてはいけないですな。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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2月8日(水)のつぶやき

2017年02月09日 04時54分16秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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スマホにかかってきた電話の出方が難しいのだ・・・・トホホ

2017年02月08日 08時15分19秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

日記というと、拙ブログの他に紙ベースの10年日記もつけている。拙ブログのデータも、ダウンロードできるので時々やっている。テキストファイル形式で保存もしている。しかし、便利になったものである。こんな時代がくるとは思ってもみなかったからである。

ガラケーという名の携帯電話ができたときにはびっくりしたものである。でも、今はスマホがある。ボキも持っている。ジジイスマホ。ジジイでもできますよんとauの店で女性社員が言うから買ったのじゃ(^_^)。もっともジジイとは言わなかったが。それよりもガラケーをもう少しお使いになったら?と言ってくれたっけ。あれはありがたかった。確かにガラケーで十分だからである。

スマホは、ボキにとっては無用の長物である。なかなか難しくて、電話の出方もいまもってわからんのじゃ。ガラケーだとぱかっと開ければ、電話できるではないか。スマホは、スライドしないと会話もできない。こんな難しいもんはない。まごまごしていると、かけてきた御仁から電話を切られてしまうからだ。焦ってしまう。マジに。スライドする指の滑りも悪いし。

で、スマホである。

実は一昨日から、スマホに中国語の動画を入れて、gymでもどこでも見ているのだ。これは便利である。動画も見れるとは、恐れ入ってしまった。しかも、MP4に変換してスマホに保存してあるから、通信代がかからない。これも年金生活者にはありがたい限りである。

紙ベース以外でも勉強できるというのは、ジジイにとってはありがたいもんである。要するにアタマに入ってきたかどうかというのがもっとも重要であって、勉強時間の多寡ではない。机にじっとしがみついていたから成果が出るのではないと思う。もっともあれですな。成果もへったくれもないけど、ボキのような挫折ジジイには(^_^)。

一番大事なのは惚け防止である。

だから、今日も老人大学に行く。タノシミである。ルンルンと。他人と会って、雑談してくる。そいつが一番いい。アタマのためにも。もうボキのアタマには毛がないし、生えてこないし、絶望的な状況である。

それでもめげずに行く。それでよし、それでよし。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

 

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2月7日(火)のつぶやき

2017年02月08日 04時55分39秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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中国に行ってみたくなってしまった・・・・(^_^)

2017年02月07日 13時25分47秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

初級レベルしかできないのだからスカイプ個人レッスンは断念してYoutubeの動画をスマホで見て繰り返し独習することにした。これだとwalkingをやっていてもできる。ながら学習である。それと、やはり中国に行ってみたくなった。

 

 

4月から退学した大学に社会教育講座として中国語講座が開催されるようだから、楽しみにしている。火曜日らしい。

実は、スカイプで中国語の個人トレーニングをしてもらおうと思ったが、内容がハイレベルで太刀打ちできないのじゃ。そこで、居住地の中国語講座の先生(中国人の女性講師)に相談したら、見つけてくださったのである。日本文学をやっておられる方らしい。日本人に中国語を教えてみたいとのたもうておられる。

ところがである。やはりスカイプでやりたいとのことであった。

参ったな。

・・・・・・・・・

いろいろ考えたが、初級レベルしかできないのだからスカイプ個人レッスンは断念してYoutubeの動画をスマホで見て繰り返し独習することにした。これだとwalkingをやっていてもできる。ながら学習である。

それと、やはり中国に行ってみたくなった。

なぜなら近いからである。時間もそんなにかからない。

今まで、スイス・フランス・ドイツ、アメリカ、カナダ、マレーシア、シンガポール、台湾、イタリア、インドと行ってきたが遠かった。時間もかかった。(台湾をのぞく)。エコノミークラス症候群という病気をしたので、エコノミー席では再発してしまう。ビジネス席でないと行けないのである。マジに。

しかし、中国はビジネスでなくても行ける。近いからである。片道10時間もかかるようではエコノミークラス症候群でダウンしたジジイとしては、エコノミー席は怖い。

中国旅行は近いし、安価である。遠い国からみたらいつでも行ける。

でも一つ問題がある。それは現代中国に興味がないということである。古典や歴史の中の中国なら非常に関心がある。

祖父の松太郎に厳しく鍛えられたからでもある。山形の古色蒼然とした古民家みたいなでかい家で、祖父の膝にまたがりながら、本を読んでもらった記憶があるのだ。それも漢文だった。なんという祖父であったのだろう。すっかり祖父の思うとおりの育ちかたをしてしまったよん。笑ってしまうが。

時々、その祖父は、刀も手入れすることがあったから怖いのは数十倍になっていたけど。

 

現代中国に興味がないなんて言っていないで、いっぺん行ってみるか。大連も近くていいらしい。歴史的な旅もいいなとは思っている。三國志の跡をたどってみるとか。現代中国美人を鑑賞してくるとか(笑)。あ、現代中国美人なら退学した某大学にいっぱいいたっけ。鑑賞だけしていたけど。

わははははっはははっははは。

これでは4月からもまともな仕事をしている暇がないいですなぁ。アルバイト三昧で過ごすしかないようである。

幸い、雇ってくださるところがあるから行けるようなものであるけど。

アリガタヤ、アリガタヤである。

 

Bye-bye!

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2月6日(月)のつぶやき

2017年02月07日 04時54分59秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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お墓を見てきた・・・・・・むろん自分の入る予定の

2017年02月06日 16時40分01秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

gymも図書館も休館であった。

他にやることもないから、午前中は歩いてきた。歩かないと死ぬからだ。おかげさまで、16:28現在Metsで9546歩である。十分である。だから今日はもう歩かない。

それに、walking以外は「人生」という路遥の小説を読んでいた。100円ショップで買った5×3カードサイズの付箋にメモしながら、それを本に張っていく。県立図書館から借りてきたので、メモを直接するわけにはいかないからである。

中国の小説でもこの作品は傑作であろう。静かに、ストーリーが展開していく。翻訳もいい。だからであろうが、はまる。現代中国にはまったく興味がないが、こういう小説もまたいいもんである。なにしろボキは、中国には孔子と孟子と老子と墨家と・・・・・・・というように古典の中にいる偉人しか知らないからである。否、知っているとはおこがましい。さわりだけである。こんなバカが中国文学も知っていると言ったら笑われる。最初の大学に学んだときも、中国文学科があって、クラスメイトが多かったからである。彼らにである。笑われるのは。

わははっはははっははははっははは。

実はwalkingの時に、ついでだからと某寺院に行ってみた。ぼちぼち墓地が欲しいと思っているので、そこならあるかも知れないという噂を聞いたからである。別の寺院を通して聞いた噂である。行って見たら、墓地があった。

気に入った。

あそこにしようと思った。死んでからも安心して寝ていることができる。それに、歴史的にもかなりのものがあった。

あそこならいい。しかしである。売り切れていたら、どうすんじゃろぅか。

それもまた人生ですかな。

人生の仕舞い方を今から考えていなくちゃアカンというのもつらいもんでござる。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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人物 茅盾文学奖获得者 路遥(上) 人物20110328

2017年02月06日 16時00分55秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
ああああああああああああああああああ!

中国語ができないということを嘆いてばかりいる。
この動画を見ても理解できないからだ。

彼の作品「人生」にはまっているからである。
朝からずっと読んでいる。
5×3カードの付箋をつけながら、メモしながら。
なんだか青春時代に戻ってきたような錯覚に陥っている。


むろん翻訳であるけど。
残念! 





2013/06/14 に公開
 
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人物 茅盾文学奖获得者 路遥(上) 人物20110328

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第40回 延々と続く自慢話への対峙法・・・・・これボキも トホホ

2017年02月06日 07時13分35秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
他人の自慢への対応法だけど、これってボキ自身も他人にやってきたのではないのかと思うと慚愧の思いですなぁ。
自慢したってなんの取り柄もねぇボキが、閻魔様に叱られるです。
話にならんですわい。
今日から気をつけましょう!
 
 
 
 
 
2016/02/28 に公開

今回は、しん様(女性・50代・地方公務員)という方からの「延々と続く自慢話への対峙法」についてのご相談です。
~~~~~~~~~~~~
どのように気持ちを整理して前向きになれるか教えてください。
長年趣味の教室に通っています。その先生と一人の生徒さんとのことです。
●先生について:通い始めた当初(20年前頃から)は夫や娘たちの自慢話。今は孫たちの自慢話。毎回、何分も話は続きます。
●生徒さんについて:仕事場でいかに自分が有能かの自慢話。そして、いかに自分にお金があるかの自慢話。
私は自慢話の耐性が低いのでしょうか? 私は私で良いという自己肯定感をしっかり持てればよいのですが。
話に花が咲いてしまうと延々と続きます。ならばそのお教室をやめれば良いのですが、その先生の技術は尊敬しているので、辞める決断ができません。
私の心持ちをどのようにしたら居心地良く通えるようになれるでしょうか? 教えてください。
~~~~~~~~~~~~
まず、しんさんが書かれているとおり、「私は私で良いという自己肯定感」は、やはりポイントになってくるでしょう。
人間というのはどうしても「比較」しながら生きていく動物なんですよね。あの人と比べて私はどうかな、この人と比べてどうかなと比較をしながら、いったい自分は誰なのかを探求していく存在です。
基本的に私たちは、自分は価値がある存在で、すばらしい存在だと思い「たい」存在なんです。これは自然で健全なことです。
じつは、自慢話はそのための行為なんです。過剰なくらいに相手が自慢話をしてくる場合、誰かよりも優れていると言うことによって、「私、OKだよね? 価値があるよね? だって、ほら、こんな◯◯(夫、娘、孫 ……等々)がいるんだもん」というように確認したい営みであり、相手も必死なんだということを理解していると、ちょっと気持ちにゆとりが出るのではないでしょうか?
そして、それは決して、しんさん個人に対して「だから、あなたは能力がないのよ」と言っているわけではないことも覚えておきましょう。
そこを混同してしまうと、しんさんご自身が苦しくなってしまいますから、しっかり区別してください。そう、キーワードの「自己肯定感」ですね。
日本人は、謙虚であること、自分を見下して語ることが美徳とされることがありますが、それが、謙虚さを通り超して、自己卑下のようになってしまうと、人の自慢話にいちいち過剰反応するようになってしまいますので、注意が必要です。
しんさんにはしんさんの、すばらしい部分がたくさんあるはずです。ご自分がご自分の大親友になったつもりで、「あなたのこんなところが素晴らしいよ、こんなところが素敵だよ」と思えるところを、ぜひリストアップしてみてください。
そして、人間には「比較する」という癖があり、また、それはじつに曖昧なところから来ている、ということも理解できると、少し楽になれるでしょう。

 

 

 

 

第40回 延々と続く自慢話への対峙法

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/