いい師匠を見つけるということについて、在校生の皆さんにお話したいと思います。
それも高校時代にいい師匠と出会ってほしいと。
わたくしの一生を決定づけたみちのく米沢の高校時代の恩師に、上谷先生とおっしゃる方がおられて、初めてお会いしたときは、先生もまだ20代。秀才の誉れ高く、東京大学の印度哲学科を意図的に7年もかけてご卒業された方で、倫理社会の先生でありました。
忘れもしない高校2年生の、まだわたくしも坊主頭の、柔道部員。
倫理社会などという科目ってなんだ?っていう思いでした。
ところが、ところが面白いのなんの。
ウパニシャド哲学がどうのとか、ゾロアスターとか、なんだかまったく知らないことばかり。
20代の青年教師だったはずなのに、ひげをアゴまでたらして、夏休みには、剃髪までされた。こんな学問があるのかと、初々しい高校生であったわたくしはもえたものでありました。
以来、先生の研究室に日参して、懸命のノート取り。
これとこれを読めといわれて、読書三昧。
しかし哀しいことに凡才のわたくしには、非常に過重な課題ばかりでありました。が、生まれて初めて、自分から求めたすてきな「知りたい」内容でした。
ずっと一緒に勉強させていただきたかったのですが、時間は厳しい。
わたくしのようなものでも、単位がとれたから、卒業せよということになってしまったのです。
そして、卒業。
の、はずでした。
ところが、わたくしは、卒業式に出席することができませんでした。働きながら昼間の学校に通学することになっていたからです。呼び出しを受けておりました。
大雪の中で先生の下宿を訪ね、しんしんと降る雪の音を聞きながら、先生にお別れを申し上げたのを、昨日のように思い出します。
雪あかりの中を、がに股で、坊主頭の高校生が、なんだか面白くなさそうに顔をくちゃくちゃにしながら歩いて駅まで行ったのを、不審に思った方はたくさんおられたでしょう。
以来、一貫してわたくしはこの道を歩んでおります。
こころ残りは、あの日以来、先生にお会いしていないということです。
風のたよりでは、どこかの大学の教授になられた、博士号をとられたということでした。
在校生のみなさん、勉強をしましょう、学問をしましょう。
時間は待ってくれません。
それも高校時代にいい師匠と出会ってほしいと。
わたくしの一生を決定づけたみちのく米沢の高校時代の恩師に、上谷先生とおっしゃる方がおられて、初めてお会いしたときは、先生もまだ20代。秀才の誉れ高く、東京大学の印度哲学科を意図的に7年もかけてご卒業された方で、倫理社会の先生でありました。
忘れもしない高校2年生の、まだわたくしも坊主頭の、柔道部員。
倫理社会などという科目ってなんだ?っていう思いでした。
ところが、ところが面白いのなんの。
ウパニシャド哲学がどうのとか、ゾロアスターとか、なんだかまったく知らないことばかり。
20代の青年教師だったはずなのに、ひげをアゴまでたらして、夏休みには、剃髪までされた。こんな学問があるのかと、初々しい高校生であったわたくしはもえたものでありました。
以来、先生の研究室に日参して、懸命のノート取り。
これとこれを読めといわれて、読書三昧。
しかし哀しいことに凡才のわたくしには、非常に過重な課題ばかりでありました。が、生まれて初めて、自分から求めたすてきな「知りたい」内容でした。
ずっと一緒に勉強させていただきたかったのですが、時間は厳しい。
わたくしのようなものでも、単位がとれたから、卒業せよということになってしまったのです。
そして、卒業。
の、はずでした。
ところが、わたくしは、卒業式に出席することができませんでした。働きながら昼間の学校に通学することになっていたからです。呼び出しを受けておりました。
大雪の中で先生の下宿を訪ね、しんしんと降る雪の音を聞きながら、先生にお別れを申し上げたのを、昨日のように思い出します。
雪あかりの中を、がに股で、坊主頭の高校生が、なんだか面白くなさそうに顔をくちゃくちゃにしながら歩いて駅まで行ったのを、不審に思った方はたくさんおられたでしょう。
以来、一貫してわたくしはこの道を歩んでおります。
こころ残りは、あの日以来、先生にお会いしていないということです。
風のたよりでは、どこかの大学の教授になられた、博士号をとられたということでした。
在校生のみなさん、勉強をしましょう、学問をしましょう。
時間は待ってくれません。