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今日の授業 数学研究授業
・今日も授業を見させていただいておりました。演習も取り入れて、なかなかの授業でありました。創意工夫に満ちておりました。授業をされていた若い先生は、終了後に校長室に来られました。それで、いろいろとお話をさせていただいておりました。向上心に富む先生は、実に頼もしい。これからの教師生活を、順調に送っていっていただきたいものであります。そんなことを申し上げました。
・最近、どうも自分の文章の乱れが気になってなりません。話し言葉で書いているせいでありましょう。ブログのせいだと言ってしまっては身も蓋もありません。しかし、メールもそうですが、確かに文章の乱れが出てきてしまいます。メールの文章は、あれはとても文章とは言えない代物です。ですから、メールとかいうものには、あまり関わりたくないのです。もとから文章が乱れているのですから、これ以上乱れてはどうしようもないと思っているのです。Twitterもそうです。「・・・なう」とかいう言い方をしていると、これは老い先恐ろしいことになりそうです。
・この1ヶ月くらい、文章作法のような書籍を、新書ベースで10冊くらい購入して読んでいました。レポートがだんだん書けなくなってきたからです。自分を語るようになったし、とても客観的に書くことができなくなっています。ひねって書く癖もついているようです。起承転結の「転」の部分であれこれひねりをきかせて、読む方にあっと言われてみたいと思うのは、天声人語の悪影響でもあったのでしょうか。無理して「転」を書かなくてもいいと最近は気がついてきました。
・ドキュメント、つまり文書を書くことをこれからは専門としていかなくてはなりません。老人大学をはじめとして、いろいろな生涯学習に挑戦したいからです。ですから、わかりやすく単文の積み重ねで書かなくてはならないのに、このブログの文章ときたら、なんとまぁ長ったらしいこと限りがないのです。自分で嫌になります。しかし、職業を明らかにして書いている以上、あまり乱暴なことは書けません。
・最終的に才能が無いと割り切ってしまえばいいのでしょうが、これはこれでいかがなものか。練習するしかないということなのでしょう。厳しいものであります。まだまだゴールにはたどり着いていないのですから。
・練習というと、今日のこの記事の写真。演習を取り入れて見事に研究授業をなさっていました。それではたと気がついたわけです。そうだ、愚昧なるわたくしは、質より量で勝負しようと思い至ったわけです。つまり、バンバン書いてみようと。書きながら、考えればいいとある意味開き直って書いてみることにしました。
・才能が無いと最初から言ってしまったら、もう努力をすることができなくなります。放棄です。努力の放棄。これではいかがなものかと懶惰なことではひけを取らないわたくしでも、気がついたのであります。
・一冊の書籍を読んでレポートを書くとき、十分な理解をしないうちにレポートの下書きを作成始めると、必ずどこかで作成に支障ができます。困難なものであります。全く困難。それでも勉強するしかない。
・道遠しであります。
・また明日!