珠玉の音楽に囲まれて

オーディオのこと、音楽のこと、思いついたまま記していきます。
by 横浜のVienna Acousticsファン

原点ウォーキング

2020-05-24 22:18:05 | その他
未だ緊急事態宣言が続く横浜方面ですが、漸く、最初の出口が見えてきたようです。この間、在宅勤務の良さ、出勤の良さ、それぞれあることを実感できました。おそらく、完全にbeforeコロナに戻ることはなく、一気に進んだIT活用が、仕事/プライベート関わらず普及していくものと思います。打合せだけのために本社に行くことは、何だかバカバカしくなりました。オンライン飲み会は、未経験です。オーディオのオフ会は、実際に聴かないと話になりませんから、永遠にオフ会ですね(笑)。

以前より散歩の頻度が増えましたが、2か月も在宅勤務が続くと、正直ルートにも飽きが出てきます。そこで、土日は、やや遠出しています。この半世紀近く、私は横浜市で過ごしました。住んだ場所を数えると、6か所になります。通った幼稚園から高校は全て横浜市内にあり、会社の最初の勤務地もそうでした。馴染みのある街、通学路、通勤路を歩くことを、前々より計画していました。4月以降、山の企画は軒並み中止となりました。その代替でもあります。

今日は、以前に住んでいた相鉄沿線を歩いてみました。向かったのは泉区の弥生台です。ここに住んでいたのは、もう20年以上も前になります。それでも街の空気感は変わっていませんでした。ビデオテープを巻き戻すように、ウォーキング、スタートです。


お隣、緑園都市駅前です。近くにはフェリス女学院大学があります。駅を囲むように、高級住宅街、高級マンションが配置された、洗練された街並みです。二俣川駅を目指して先を急ぎます。


緑園都市の住宅地から、隣接するこども自然公園(通称、大池公園)に入りました。大池あり、動物園あり、梅林ありで、昔は家族でよく訪れていました。当時、フルートの練習していた人がいたこと、憶えています。


二俣川駅から一山越えて、鶴ヶ峰方面へ向かいます。途中、保土ヶ谷バイパスを横切ります。ここを下った所にある「旭ベーカリー」に行列ができていて、妙に嬉しくなりました。こじんまりとした昔ながらのパン屋です。


結婚後、最初に住んだ町が鶴ヶ峰でした。流石に、当時住んでいたアパートは無くなり、別のマンションが建っていました。水疱瘡で2週間ほど休んだことが思い出されました。


その鶴ヶ峰にあるケーキ屋さん「ポーズカフェ」は、当時から地元で評判でした。生菓子はウォーキングには向かないので、いくつか焼き菓子を調達しました。


鶴ヶ峰駅に向かう途中に、水道みちの看板が。水道みちの名前は知ってましたが、津久井まで繋がっていたとは、驚きました。明治20年にトロッコで機材を運んでいたそうです。


鶴ヶ峰の喧騒を離れて、帷子川に出ます。この川沿いを徒歩通勤したこともありました。阪神淡路大震災の当日に歩いたことは、はっきり記憶しています。


西谷駅です。最近の話題と言えば、相鉄線がJRとつながり、新宿方面へのアクセス良くなったことです。車両に「新宿」とあり、違和感満載です。もっとも、西谷駅の周辺は、相変わらず垢抜けない感じでした。


GW辺りから、この手の原点ウォーキングを何本か、こなしました。ささいな道の曲がり方一つでも、ワープのきっかけとなります。当時の、日常生活が酸いも甘いも含めて、戻ってきます。まあ、酸い方が、記憶には残りがちですが・・・。横浜市内では、後、鶴見方面を残すのみです。夏場の炎天下は避けたいので、6月に実施できればと思います。都内になりますが、学生時代~社会人編もやろうかと。原点ウォークは決して懐古目的はなく、あくまでも現在の私自身のリフレッシュ目的です。
コメント (2)
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