スイートサウンドさんご夫妻と岡山駅で別れた後、津山に向かいました。これまで岡山県は倉敷や総社は訪れていますが、内陸の山間部に入るのは初めてです。美作、津山、新見・・・同じ岡山でも海側と異なり素朴さが先行しそうですね。オフ会に登山を重ねるシリーズも伊吹山、剣山に続いて第3弾となりました。中国地方は有名な山が少なく百名山は鳥取の大山だけです。それでも中国山地が背骨ですから、登り甲斐のある山はあります。今回の目的の那岐山(なぎさん)も名山の一つで、昨年訪れた氷ノ山と同じ国定公園内にあります。岡山から1時間少し電車に揺られ、午後9時前、津山に到着しました。
翌日は梅雨の晴れ間となりました。津山駅からバスで、登山口のある奈義町へ向かいます。ルートは津山から智頭方面へ向かう国道53号です。バス停=登山口でないことは覚悟していましたが、できれば舗装道路は歩きたくないものです。結局30分ちょっとアプローチにかかりました。
登山コースの他、滝や城跡を巡る散策路も整備されていました。山頂へ向かうルートはA~Cの3コースです。尾根沿いCコースを登りに、沢沿いのBコースを下りに使うこととしました。
名木ノ城跡の分岐です。町名は奈義ですし、山の名前は那岐で、いずれも「なぎ」です。時代によって当て方が変わったのでしょうか。似たような例は他にもありそうですね。
この時期ですから木々の緑の濃さは十分です。そんな中、まだヤマツツジが頑張っていました。
途中、大神岩と呼ばれる見晴らしのいい(はずの)場所がありました。うーん、見晴らしは今ひとつです。足元に山麗の奈義町が広がっています。
いいペースで登れました。山頂は岡山県と鳥取県の県境に位置しています。残念ながらガスに包まれて無展望でした。雨でなかっただけでヨシとします。ここで短い昼食にして下山です。
ヤマアジサイの一種でしょうか。花数の少ないこのタイプをよく見かけました。
鳥の囀りに沢の音、普段オーディオで聴く音とは素性は異なりますが、耳に心地よいのは一緒です。さらに鮮やかな緑に新鮮な空気が加わります。こちらは登山口の脇にある蛇淵の滝です。
再び舗装道路を通ってバス停まで向かいます。下山すると日差しが出るのはありがちなパターンです。ちょうど鶴が視野を横切ったので撮ってみました。鶴と言えば、昨年の吉備路を思い出します。
棚田と呼ぶにはスケールが大きすぎますね。それでも十分、初夏の風情を感じます。津山の南、美咲町には百選にも選ばれる棚田があるそうです。田植えした後の、今が見頃かも知れません。
バス停から、那岐山の見納めです。これなら見晴らしがいいはずですが。
再び津山中心部に戻りました。姫路へ向かう姫新線まで時間の余裕がありましたので、津山城跡へ寄ることにしました。津山を流れる吉井川です。中央奥にある校舎はサッカーの強豪、作陽高校です。前日はスイートサウンドさんのお宅に向かう途中、野球の強い関西高校の前を通りました。名前を知っている学校の実物を見ると妙に嬉しくなる感覚、何なんでしょう。春の柳川高校の際も、似たような感覚でした。映像を通じて、こうした学校が国立競技場や甲子園で活躍したのを見たのは昔のことです。時間(懐かしさ)と空間(旅)のレンジが非日常的で、不思議な感覚をもたらすのでしょうね。
津山城跡は現在、鶴山(かくざん)公園となっています。本能寺の変で討死した森蘭丸の弟、森忠政が築いたそうです。天守閣は残っていませんが石垣だけでも見応えがありました。案内板のように花の名所でもあり、特に4月の桜が有名です。
桜は想像するしかありませんでしたが、ちょうどアジサイが見頃となっていました。直線配置、かつブルーで統一されているので清清しいですね。
城跡からの津山の眺めも素晴らしかったです。時間があれば、城下に繰り出して、旧い町並みも歩きたかったです。秋晴れのころなんか最高ででしょう。
天守閣跡で男子高校生2人組みに、スマホでの写真撮影を依頼されました。運動着の胸にSAKUYOの文字があったので尋ねたらサッカー部でした。目指せ全国!そんな想いを持って、津山城跡を離れました。
お土産の高瀬舟羊羹を津山駅で仕入れて、帰りは姫路までの2時間ほどのぶらり旅です。新見と姫路を結ぶ姫新線に直通電車はありません。佐用、播磨新宮でそれぞれ乗り換えです。
実は、乗換えで思わぬ落とし穴に・・・。せっかく買ったお土産を網棚に上げたのが失敗でした。佐用で乗り換える際に、すっかり忘れてしまい播磨新宮で気付いた時には後の祭りでした。取りあえず姫路駅の忘れ物センターに状況だけ伝えて連絡を待つことにしました。20分ほどで津山駅で保管されている旨の連絡が入り一安心。宅急便で自宅への送付をお願いしました。羊羹なので賞味期限が7月末までOKであることを確認済みでした。吉備団子の類だったら一部の配布先は断念だったでしょう。音会、食事、登山と濃い2日間を終えつつあったので、気が緩んでいたものと思います。
翌日は梅雨の晴れ間となりました。津山駅からバスで、登山口のある奈義町へ向かいます。ルートは津山から智頭方面へ向かう国道53号です。バス停=登山口でないことは覚悟していましたが、できれば舗装道路は歩きたくないものです。結局30分ちょっとアプローチにかかりました。
登山コースの他、滝や城跡を巡る散策路も整備されていました。山頂へ向かうルートはA~Cの3コースです。尾根沿いCコースを登りに、沢沿いのBコースを下りに使うこととしました。
名木ノ城跡の分岐です。町名は奈義ですし、山の名前は那岐で、いずれも「なぎ」です。時代によって当て方が変わったのでしょうか。似たような例は他にもありそうですね。
この時期ですから木々の緑の濃さは十分です。そんな中、まだヤマツツジが頑張っていました。
途中、大神岩と呼ばれる見晴らしのいい(はずの)場所がありました。うーん、見晴らしは今ひとつです。足元に山麗の奈義町が広がっています。
いいペースで登れました。山頂は岡山県と鳥取県の県境に位置しています。残念ながらガスに包まれて無展望でした。雨でなかっただけでヨシとします。ここで短い昼食にして下山です。
ヤマアジサイの一種でしょうか。花数の少ないこのタイプをよく見かけました。
鳥の囀りに沢の音、普段オーディオで聴く音とは素性は異なりますが、耳に心地よいのは一緒です。さらに鮮やかな緑に新鮮な空気が加わります。こちらは登山口の脇にある蛇淵の滝です。
再び舗装道路を通ってバス停まで向かいます。下山すると日差しが出るのはありがちなパターンです。ちょうど鶴が視野を横切ったので撮ってみました。鶴と言えば、昨年の吉備路を思い出します。
棚田と呼ぶにはスケールが大きすぎますね。それでも十分、初夏の風情を感じます。津山の南、美咲町には百選にも選ばれる棚田があるそうです。田植えした後の、今が見頃かも知れません。
バス停から、那岐山の見納めです。これなら見晴らしがいいはずですが。
再び津山中心部に戻りました。姫路へ向かう姫新線まで時間の余裕がありましたので、津山城跡へ寄ることにしました。津山を流れる吉井川です。中央奥にある校舎はサッカーの強豪、作陽高校です。前日はスイートサウンドさんのお宅に向かう途中、野球の強い関西高校の前を通りました。名前を知っている学校の実物を見ると妙に嬉しくなる感覚、何なんでしょう。春の柳川高校の際も、似たような感覚でした。映像を通じて、こうした学校が国立競技場や甲子園で活躍したのを見たのは昔のことです。時間(懐かしさ)と空間(旅)のレンジが非日常的で、不思議な感覚をもたらすのでしょうね。
津山城跡は現在、鶴山(かくざん)公園となっています。本能寺の変で討死した森蘭丸の弟、森忠政が築いたそうです。天守閣は残っていませんが石垣だけでも見応えがありました。案内板のように花の名所でもあり、特に4月の桜が有名です。
桜は想像するしかありませんでしたが、ちょうどアジサイが見頃となっていました。直線配置、かつブルーで統一されているので清清しいですね。
城跡からの津山の眺めも素晴らしかったです。時間があれば、城下に繰り出して、旧い町並みも歩きたかったです。秋晴れのころなんか最高ででしょう。
天守閣跡で男子高校生2人組みに、スマホでの写真撮影を依頼されました。運動着の胸にSAKUYOの文字があったので尋ねたらサッカー部でした。目指せ全国!そんな想いを持って、津山城跡を離れました。
お土産の高瀬舟羊羹を津山駅で仕入れて、帰りは姫路までの2時間ほどのぶらり旅です。新見と姫路を結ぶ姫新線に直通電車はありません。佐用、播磨新宮でそれぞれ乗り換えです。
実は、乗換えで思わぬ落とし穴に・・・。せっかく買ったお土産を網棚に上げたのが失敗でした。佐用で乗り換える際に、すっかり忘れてしまい播磨新宮で気付いた時には後の祭りでした。取りあえず姫路駅の忘れ物センターに状況だけ伝えて連絡を待つことにしました。20分ほどで津山駅で保管されている旨の連絡が入り一安心。宅急便で自宅への送付をお願いしました。羊羹なので賞味期限が7月末までOKであることを確認済みでした。吉備団子の類だったら一部の配布先は断念だったでしょう。音会、食事、登山と濃い2日間を終えつつあったので、気が緩んでいたものと思います。