人間は狂気と仏性をあわせもつ微妙な生きもの、怖いですね。8日金曜、昼前、奈良で安倍元総理が参院選の応援演説、開始1分で爆発音、2秒後の銃声で安倍総理が被弾、出血して倒れ,心肺停止、ドクターヘリで病院へ緊急搬送、懸命の止血救命措置が講じられるも、17時3分、帰らぬ人に。世界1安全な国と言われてきた日本でこのような惨劇が起こってしまった。驚愕の事件。
10日の参院選は自民が大勝、岸田総理は安倍さんの遺志をついで改憲に押し進むのか、日本は着々と戦争ができる状況に変質しようとしているのか?!
こんな日曜日、ボラ仲間のTさんの企画にのって6名で糟屋郡新宮町緑が浜の相島(あいのしま)に出かけた。この暑い中何を考えているのと妻のひんしゅくを買いそうなので7時にさっと出発。この島はネコで有名だったが朝鮮通信使?のことは全く知らなかった。
通信とは信(よしみ)を通わすという意味らしい。秀吉の朝鮮出兵のあと、徳川政権になり、将軍の代替わりごとに李朝鮮から500名前後の大使節団が1607年から1811年家斉が将軍になった時まで12回にわたり続いたとか
江戸への途中、相島にたちより福岡藩が大金をつかって接客、交流につとめ当時の遺跡が島の各所にのこっている。近年、その素晴らしい外交事例がユネスコに認められ世界記憶遺産に認定された。
暑い中、熱中症に注意しながら、相島歴史の会のIさんの案内で遺跡を探訪。徳川幕府も鎖国といいながら出島やこのような通信使から海外情報を得ていたようだ。福岡藩は来日の都度、宿泊施設など新築に建て替え最高のもてなしをしたというのには驚かされる。
日韓関係は、第二次大戦終期の韓国併合、太平洋戦争突入、敗戦をへて、今や最悪といえる。400年前のこんな素晴らしい交流の歴史をどうして関係改善に活かせないのかと思う。
余りの暑さに早めに切り上げて、ランチタイム、地元食材を活かした刺身定食で舌鼓。午後は神宮寺などでさらにIさんの熱弁で研修。16時の船で帰途につく。猛暑でくたびれていた肉体と精神にカツをいれていただいたIさんと企画してくれたTさんに大感謝。
終戦後、朝鮮戦争の特需で荒廃したニッポン再生の糸口がつかめ、経済大国になった日本だが世界の環境は大きく変わろうとしている。岸田政権にはしっかりした歴史認識の上に新生ニッポンのかじ取りをしてもらいたいものだ。
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