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S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

110311 十数年ぶりの長崎、浦上天主堂下の焼き鳥屋で東北関東大震災勃発を知る

2011年03月14日 | アフターセブンティ


十数年ぶりに長崎を訪れた。筑紫野高速バス停10時16分九州号にのりこむ。でがけにバイクのスタンドで左足くるぶしをうった。バスでみてみると赤黒く腫れている。
12時半に長崎につく。駅の雰囲気は十数年前とはだいぶ変わっていたがまずはドラッグで腫れ止めの薬を買いサージカルテープでとめる。長崎まできて吉野家の牛丼を食う必要はなかったが時間もなかったので簡単にすませ、さっそく26聖人殉教地へ向かう。今回の目的は長崎チャーチを撮影すること。左足に痛みはなく歩ける。
 250年のキリスト教弾圧の中で地下深く信仰を続けてきた26聖人の石像ができている。祈りのテーマで26人の合掌する手に焦点をあて撮影。

 観光案内所で地図をもらい、大浦天主堂に向かう。駅前から市電1番にのり築町で5番に乗り換え大浦天主堂下で下車。乗り継ぎ券をもらうと120円でいけた。坂道をのぼり天主堂にむかう。撮影用の顔なし竜馬像がある通りをのぼると天主堂下に出る。正面にマリア像がある天主堂、中にはいると荘厳な教会、ステンドガラスごしに明るい光がはいってくる。厳粛な雰囲気にうたれる。
海岸通りの港風景をカメラにおさめ浦上天主堂にむかう。再度市電にのり、出島、大波止、駅前をすぎ松山町で降りて、原爆投下地をみて、天主堂下までの坂をのぼる。東洋1のロマネスク様式の大聖堂、ここも素晴らしい建築物だ。原爆で投下したドームの一部も残されている。聖堂下の公園で子供たちがサッカーに興じている。一見平和な風景だが殺伐とした日本ではある。夕暮れの教会をとるため時間があったので、坂をおりたところに居酒屋の看板があったので腹ごしらえにはいる。

 なんと大津波にのみこまれる東北三陸沖大地震の模様がテレビで放映されていた。なんということか。あまりの大自然の猛威に言葉もない。三陸周辺は津波には過去の歴史で壮絶な体験をしている土地柄、10数メートルの防御癖も構築されていたらしいが、想像を絶する大津波がその壁をあっというまに乗り越え、車や家をなぎたおし人をも飲み込んでゆく。言葉をなくす惨状だ。そこそこの腹ごしらえを終え、夕暮れの天主堂を撮影し、駅前から高速バスで帰路につく。22時帰宅したが、さらに深刻な被害状況が放送されていた。
 

地震発生から3日、死者は1万人を超えるという。マグニチュード9.0、大津波、広域、石油コンビナート火災、福島原発放射能漏れ危機、空前絶後の大震災。日経平均も大暴落。世界初の計画停電。明日から冬に逆戻りの天気予報。水なし、食料なし、毛布なし、ガソリンなし、家族と連絡とれない、大変なことだ。被災地の方々には頑張ってもらうしかない。これだけ技術の発達した今、いつも電話がつながらない。つまらない技術力だ。原発対策もなんかもたもたしている。
 Goo、楽天銀行経由で気持ちだけだが募金をさせてもらう。あらためて地震は日本のどこにいても被災する可能性のあることを認識し、こころの準備をしておこうとおもう。
 


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