我が家の宗派は浄土真宗東本願寺、真宗大谷派。浄土真宗は戦国時代、一向宗とよばれ、ひたすら阿弥陀仏を信心し、南無阿弥陀仏という名号をとなえれば、死後、西方浄土が約束され、仏になり、さらには現世におりてきて悩める人たちを救済できるという教義。法然、親鸞、蓮如と連綿と引き継がれ日本の一大宗教となったといわれる。平安仏教は貴族を中心とした祈祷仏教が主流、法然親鸞は何十年と比叡山で難行苦行したが悟れず,煩悩から脱却できず、法然が易行念仏、専修念仏の道をひらき、末法の世にくるしむ一般大衆に受け入れられ、親鸞もまた開眼させられ法然の弟子となった。
ただひたすら阿弥陀仏の絶対他力を信じ、感謝報恩の念仏をさせていただく。他の善行という自力の行は不要。したがって般若心経の写経や座禅や一切の行は不要と説いた。だからというわけではないが武蔵寺での写経会への出席は今年は2~3回。ただ歎異抄や親鸞関係の書物など読んでも、あのお釈迦さんが阿弥陀仏はこの世の最上の仏さんだからひたすら信心しなさいと言ったなどと仏説大無量寿経に書かれてあると言われてもはいそうですかとにわかには信じれない。うのこの言わずに信じなさいということで「門徒もの知らず」などと言われてきたようだ。
まあそんな時にお寺から第57回の写経埋納法要の案内が届いたものだから重い腰をあげて参加した次第。6年ぶりの出席。9時半から本堂で法要。10時、裏山の経塚で去年12月からの写経用紙を陶器製の経筒にいれたもの3つ他法要の準備物をもって裏山へ。2~3日前の大雨で足元が悪いかもしれない。年寄りが多いので足がよれよれ。
この経塚から昭和43年に武蔵寺の銘文がある経筒が発見され有名になった。日本で一番古い経塚は藤原道長が1007に造営した金峯山経塚とか。
すでに掘られている1m四方の穴の横で法要、焼香と続き、3本の経筒埋められ、全員で土をかけてゆく。
10時40分終了、天気も晴れて、無事に塚に登ってこれて、埋納も無事終わり、あり難しありがたしと住職のご挨拶、下山。
皆で集合記念写真、1000円、値上がりしていなかった。よかったよかった。
満徳円満堂(写経室)に集合、記念講話。景柳書道学会主催の川上景扇さんがゲスト。念ずれば花開くが演題。この先生、五重の塔の輪郭に沿って観音経を28名で書きつなぐ書継経を奉納されている。6回も失敗されたようだが、何事も一生懸命に祈るように努力すれば自ら道は開けるというわけですね。
念ずるとは今と心の組み合わせ。ただ念じていれば夢がかなうとといった単純なものでなく、苦難を耐えるというより、苦難こそ気づきへの導きと感ずることが重要。
12時過ぎ終了、栗ご飯のおサイジキをいただき、写経埋納法会が終了しました。久しぶりに清清しい時間を過ごさせていただきました。
ただ、南無阿弥陀仏と唱えるだけでなく、自らが自力でやれているという傲慢さをさとり、まわりの人のお蔭でやってこれました、煩悩具足の凡夫である自分にきずかせていただきました、阿弥陀様ありがとうございましたと仏恩報謝の気持ちでお念仏させていただきます、という心境に至りなさいということのようですね
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