そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

万葉集#俗道仮合〔沈痾自哀文のあと〕

2009年12月29日 |  / 万葉集
12/29
「無常観万葉の世もあることを鎌倉だけの特許でなけり
(俗ヨの道の仮に合ひ即ち離れ、去り易く留まり難きを悲歎する詩ウタ一首、
また序)」
「竊ヒソカに以オモヒミるに、釋・慈の示教は〔釋氏慈氏を謂へり〕、
先に三帰〔仏法僧に帰依するを謂へり〕、五戒〔謂ふは、一に不殺生、
二に不偸盗、三に不邪婬、四に不妄語、五に不飲酒をいへり〕を開きて、
遍く法界を化オモムけ、周・孔の垂訓は、
前サキに三綱〔謂ふは、君臣・父子・夫婦をいへり〕、
五教〔謂ふは、父義・母慈・兄友・弟順・子孝をいへり〕を張りて、
斉しく邦国を済スクふ。故カレに知る、引導は二つありと雖も、悟を得たるは
惟コレ一つなりと。
但タダ以オモヒミれば世に恒の質無し、所以カレに陵と谷と更に変る。
人に定まれる期無し、所以カレに寿と夭同じからず。目を撃つの間、
百齢モモヨ已スデに尽き、臂ヒジを申ぶるの頃ホドに、千代チヨも亦空ムナし。
旦アシタには席上の主となり、夕には泉下の客となる。白馬走り来るとも、
黄泉クワウセンは何イカにか及ばむ。隴上ロウジヨウの青き松は、空しく
信釼を懸け、野中の白き楊ヤナギは、但悲風に吹かる。是に知る、世俗本より
隠遁の室無く、原野には唯長夜の台ウテナのみ有り。先聖已に去り、
後賢留まらず。如し贖ひて免るべきこと有らば、古人誰か価アタイの
金コガネ無からむ。未だ独り存ナガラへて遂に世の終を見る者を聞かず、
所以カレに維摩大士は玉体を方丈に疾ヤみ、釋迦能仁は金容コンヨウを双樹に
掩オホへり。
内教に曰く、『黒闇の後に来らむを欲せずは、徳天の先に至るに入ること
莫かれ』と。
〔徳天は生なり。黒闇は死なり。〕故に知る、生必ず死有り、死若し欲ネガは
ざらむは、生まれぬには如かず。况乎マシテ縦ひ始終の恒数を覚るとも、
何にぞ存亡の大期を慮アモヒハカらむ。俗道の変化は目を撃つの如く人事の
経紀は臂を申ノブルの如し。空しく浮雲と大虚を行き、心・力共に尽きて
寄る所無し()」
コメント
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