そのままVon

おもに31文字の語呂合わせ日記

古代史のまとめ

2012年12月20日 | 字余り

12/20
古事記が書かれたのが712年とされており、2012年の今年は1300年の記念の年である、と出版界はわれわれをあおってくる。確かに、本屋の書棚には古事記・古代史の本、とりわけ入門書の類いが並んでいる。
わたしの場合、すでに足を突っ込んでいる軽度のマニアと言ってまちがいないだろう。だから、それらの本の大半は冷静に見過ごすことができる。一ヶ月ほど前に古事記のつまどいの話を聞きにいったとき、大阪府大の村田教授は『…の謎』とか『よくわかる…』とか言うタイトルの本はやめた方がよいといっていた。そんなにバッサリと切ってよいものか、いささか疑問ではあるが、まあそんなものかなと納得する。
その講演の帰り道、『古代日本誕生の謎・武光誠著』というタイトルの本を購入した。……の謎というフレーズがついているが、武光氏は古代史の著作も多く、スタンドプレーヤーではないし、わりと温厚な学説をぶら下げている。どんな学説かと突っ込まれると困るのだが、バランスはよいように思われる。
さてこの本であるが、内容的にも新しい事実を取り入れて全体を概括している好著だと思う。『はじめに』の最初の部分を引用する。『日本古代史は面白い。考古学の発展によって、たえず新たな事実が明らかにされて書き変えられていく。邪馬台国や大和朝廷の誕生といった大きな問題に関する、20年前の本はすでに時代遅れになっている。』これが書かれたのが平成17年だから昭和の60年頃から新しい歴史事実がわかってきたというのだろうか。梅原猛氏や古田武彦氏が新しい学説(学説ではないかもしれない)をたてたり、発掘もそれ以前から行われていたが、脚光を浴びるような遺跡等、成果がその頃に明らかになってきたということなのか。1970年頃から始まった都市開発、宅地開発で土地を掘り返すことが多くなったことも考古学的大発見につながったと言える。目立った発掘として、稲荷山の鉄剣、古事記編纂者の太安万侶の墓誌、出雲の銅鐸・銅剣、佐賀の吉野ヶ里遺跡、青森の丸山三内遺跡とか、全国規模で色々出ている。他にも、木簡とか、柱穴跡等地味な発見も多々ある。
いままでに漠然と考えてきたことだか、古代史への興味をわたし自身の古代史としてまとめてみるのも一興か。

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万葉集#14.3482-14.3484

2012年12月20日 |  / 万葉集

12/20
「韓衣カラコロモ裾の打交ウチカエ逢はねども異ケしき心を吾アが思モはなくに(#14.3482 或ル本ノ歌ニ曰ク、『韓衣裾の打交ウチカエ逢はなへば寝なへのからに言痛コトタかりつも』)」
「韓衣裾交わらず逢わないが怪しい気持ちをわたしは感じる(韓衣裾交わらず逢わぬのに寝たと噂がたってしまいき)」

「昼解けば解けなへ紐の我が夫汝セナに相依るとかも夜解けやする(#14.3483)」
「昼解けば解けない紐も彼愛するか夜解けやすい()」

「麻苧アサヲらを麻笥ヲケに多フスサに績ウまずとも明日来キせざめやいざせ小床に(#14.3484)」
「麻苧アサヲらを麻笥ヲケにたくさん摘めずとも明日着るわけでなし行こうベッドに()」

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