「米国は、核兵器国として、そして核兵器を使ったことがある唯一の核兵器国として、行動する道義的責任がある」「今日、私は核兵器のない世界の平和と安全保障を追求するという米国の約束を、明確に、かつ確信をもって表明する」。去る4月5日プラハでのオバマ米大統領の演説。
一方、麻生首相は8月6日に広島で、そしてきょう9日長崎で、「今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていく」「広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けて」と宣言。
ここまで聞いていると“麻生さんもやるじゃん”ということになるが、6日の広島でもきょうの長崎でも、麻生首相は式典後の会見で、「日本の平和を守るためには、米国の核の傘による核抑止力が必要だ…」という。
一方で「核廃絶」と言いながら、一方でいざというときには核兵器によって相手を攻撃するということを前提にした「核の傘」「核抑止力」に依存するという、こんな「二重基準」の論理は、今の世界には通用しないでしょう。
本当に被爆国の日本が核兵器廃絶で主導的役割を発揮するというのならば、核持込密約を廃棄し、米国の「核の傘」から離脱して、名実ともに「非核の日本」になることでなければならない。
今度の総選挙では、表向きの「平和」をいう党でなく、「核の傘」に頼らない、名実ともに、「非核の日本」をめざし、反戦・平和の旗を掲げ続けてきた党に明日の日本を託さなければ…。
一方、麻生首相は8月6日に広島で、そしてきょう9日長崎で、「今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていく」「広島、長崎の悲劇を二度と繰り返さないためにも、国際平和の実現に向け、あらん限りの努力を傾けて」と宣言。
ここまで聞いていると“麻生さんもやるじゃん”ということになるが、6日の広島でもきょうの長崎でも、麻生首相は式典後の会見で、「日本の平和を守るためには、米国の核の傘による核抑止力が必要だ…」という。
一方で「核廃絶」と言いながら、一方でいざというときには核兵器によって相手を攻撃するということを前提にした「核の傘」「核抑止力」に依存するという、こんな「二重基準」の論理は、今の世界には通用しないでしょう。
本当に被爆国の日本が核兵器廃絶で主導的役割を発揮するというのならば、核持込密約を廃棄し、米国の「核の傘」から離脱して、名実ともに「非核の日本」になることでなければならない。
今度の総選挙では、表向きの「平和」をいう党でなく、「核の傘」に頼らない、名実ともに、「非核の日本」をめざし、反戦・平和の旗を掲げ続けてきた党に明日の日本を託さなければ…。