風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色(50) 変わったもの 無くなったもの

2015-07-10 | 生い立ちの景色
1963年、1月。
人生17回目の正月を迎えた。
この歳になると、正月だからと特別の思いもないし、これといってやることもなかった。ほんまに暇だった。
暇だからということでもないが、人生17年間、と言っても記憶があるのはせいぜい10年余りだが、振り返ってみてふと気付いたことがあった。

ひとつは、日常生活の環境がえらく変わってきたこと。
ポンプで汲み上げていた生活水が水道になり、かまどやカンテキの代わりにプロパンガスコンロを使うようになった。また、テレビが見れるようになり、村までバスがくるようになった。そして、牛の代わりに耕運機で田を耕すことになったことなど。

一方、いつの間にか無くなっていたこともあった。
時々来ていた富山からの薬売り屋さんが来なくなった。薬を入れた大きな柳郡2つを担いで、各家の薬箱に薬を補う人。
それぞれの家の薬の減り具合で、その家族の健康状態がわかるらしい。
薬屋さんは、仕事を終えると世間話をして、子供がいる家には必ず紙風船を3つ4つ置いて帰った。懐かしい思い出だ。

もう一つは、毎年やっていた村の盆踊り。
数日前になると村の人らが集まって櫓を組み立て、紅白の幕を張った。
当日は、3、4人の音頭取り衆が来た。江州音頭で村の人は総出で踊った。
お年寄りも、若い衆も子供も、みんなほんまに楽しかった。
俺も小さいころから、カッコいいお兄さんたちの後ろで真似して懸命に踊ったものだった。
これも、いつの間にかなくなっていた。

いつも早起きの家族もゆっくりしていた。ただ、おふくろと兄嫁は6時くらいには起きていた。
雑煮も炊けて、膳にみんな揃ったところで、オヤジが「おめでとうさん」といった。
去年は豊作で、もち米の出来もよかったし、年末にオレらが一生懸命についた餅だから特に旨かった。
餅好きの俺は、餅2個入った膳を3回おかわりした。
おふくろが、姪っ子ら二人に「これお兄ちゃん(オレのこと)からやで」と年玉袋を渡した。

世の中「高度経済成長」一色。みんなが浮かれているような今年の正月だった。

広島カープ球団の英断

2015-07-10 | 社会

プロ野球の広島東洋カープは6日、8月6日にマツダ球場で行われる試合で、監督・コーチ・全選手が「86」のユニフォームを着用し試合を行うことを発表しました。
球団からは、「慰霊の意を表すとともに『8月6日』に対する多くの方々の想いや記憶の歴史を継承し、次世代に引き継ぐきっかけになる事を願っております」とのメッセージが発表されました。

今年は、戦後70年、広島にとっては、あの悲惨な被爆から70年の年です。
年月の経過とともに、被爆体験者も少なくなり、原爆への関心も薄れてきているといわれています。

今また、安倍政権が、アジアと日本国民に多大な犠牲を強いたあの戦争の教訓のもとに生まれた憲法9条を根底から覆すような「戦争法案」を強行しようとしています。
このような情勢の中で、「核兵器なくせ」「戦争反対」の願いを込めた今回の広島カープ球団の取り組みは、特別の意味を持つものではないでしょうか。

発表の場では、選手を代表してエースの前田健太投手が、胸には「PEASE」、背中には「HIROSHIMA」、そして「86」の背番号のユニホームを着て記者会見をしました。
前田選手のコメントに感激しました。ぜひお読みください。
※発表の内容と前田選手のコメントは広島カープ球団サイトから