風・感じるままに

身の回りの出来事と生いたちを綴っています。

生い立ちの景色(52) 先生宅の宴会

2016-01-21 | 生い立ちの景色

1963年5月。
二年生に進級。中には、理由はいろいろあったと思うが、出席日数が足りず落第して退学するやつもおった。
入会していた社研(社会問題研究同好会)が、学校のクラブとして申請をしたが今年も認められなかった。
理由は「学校の授業の延長、付随するもの」という要件に該当しないというものだった。
よって、学校の補助金は一銭ももらえず、みんなのカンパで運営していた。
それでも顧問の先生はいた。保健体育を受け持っていたH先生が引き受けてくれたのだ。

先輩から「今度の休みに先生の家に遊びに行くけど、どうする?」と言われた。
あんまり気がすすまなかったが行くことにした。気がすすまなかったというのは、メンバーの中心になっていた先輩とオレはあんまり肌が合わなかったからだ。
先生宅は、農家の離れみたいな小さな家で、入口の引き戸を開けると土間があり、家の中全体が暗かった。
子どもさんはいてなくて、おとなしい先生にお似合いの?優しそうな奥さんがいた。
高かったであろう上等な牛肉のすき焼きをご馳走してくれた。ビールも出してくれ、先輩でちょといちびって飲んだやつもおったがオレは飲まなかった。
少し酒が入っても口数が多くなることはなく、いつものH先生だった。

正式にクラブ活動として認められない、違った言い方をすれば学校からはあまりよく思われていなかった「同好会」の顧問を、H先生はなんで引き受けたのか?
オレは聞きたかったが、よう聞かなかった。たぶん、H先生は左翼だったのでは。