1964年8月。
俺はこの年の春に青年組織の民青同盟(民主青年同盟)に加入していた。
いろんな集会や学習会へ参加するようになり学校を休むことが多くなっっていた。
だんだんと「学校の勉強しているより、おれには今、もっとすることがあるのでは・・・」と思うようになっていた。
だいぶ悩んだ末に学校をやめることにした。
親に相談してからとも思ったが、入学する時も親に相談することなく自分で決めたので相談しないことにした。
夏休みの終わる1週間前に退学を伝えるために学校に行った。
あいにく担任の先生は休みだった。もう一度来るのが面倒だったので同じ学年担当の女先生に「辞めたいんです」といった。
先生は「少しくらい休んでもいいから続けたら。理由は何?」と言った。
俺は、自分の気持ちを言おうかと一瞬迷ったが言わなかった。先生の言うことは、ある程度予想していたので俺の気持ちは変わらなかった。
事務局に行って授業料や給食費などの滞納がないことなどを確認して手続きを終えた。
教員室から校門までの大きなヒマラヤ杉が並んでいる校庭をゆっくり歩きながら、この2年5カ月の夜間高校生活を振り返っていた。
先生とクラスのやつの顔が浮かんできた。
涙が出そうになったが、「何を泣いているんや。新しい出発を自分で決めたんやろ」と言い聞かせて、ぐーと涙をこらえた。
俺はこの年の春に青年組織の民青同盟(民主青年同盟)に加入していた。
いろんな集会や学習会へ参加するようになり学校を休むことが多くなっっていた。
だんだんと「学校の勉強しているより、おれには今、もっとすることがあるのでは・・・」と思うようになっていた。
だいぶ悩んだ末に学校をやめることにした。
親に相談してからとも思ったが、入学する時も親に相談することなく自分で決めたので相談しないことにした。
夏休みの終わる1週間前に退学を伝えるために学校に行った。
あいにく担任の先生は休みだった。もう一度来るのが面倒だったので同じ学年担当の女先生に「辞めたいんです」といった。
先生は「少しくらい休んでもいいから続けたら。理由は何?」と言った。
俺は、自分の気持ちを言おうかと一瞬迷ったが言わなかった。先生の言うことは、ある程度予想していたので俺の気持ちは変わらなかった。
事務局に行って授業料や給食費などの滞納がないことなどを確認して手続きを終えた。
教員室から校門までの大きなヒマラヤ杉が並んでいる校庭をゆっくり歩きながら、この2年5カ月の夜間高校生活を振り返っていた。
先生とクラスのやつの顔が浮かんできた。
涙が出そうになったが、「何を泣いているんや。新しい出発を自分で決めたんやろ」と言い聞かせて、ぐーと涙をこらえた。