江戸末期に、大坂・八軒家と京都・伏見間の淀川を往来していた、あの坂本龍馬も利用したといわれる淀川三十石船がありました。
この船を操った船頭らがよく歌ったとされる、淀川沿いの地名や風景を謳った「淀川三十石船唄」があります。この唄には、中間地点にあたる枚方や高槻の地名がよく出てきます。
唄は、全部で19節(句)ありますが、この中に、私の生まれ育った「前島」(高槻市)にかかわる次のような句があります。
「ここは前島お捨ての墓じゃ いともさびしい浪の音」というものです。
他の18句に比べて、何と暗く寂しい句なのかと、長い間、気にかかっていました。
インターネットでいろいろと調べていたら、平成25年(2013年)9月25日発行の高槻市広報NO.1296号に、この句の意味について次のような記述がありました。
「(前島は)三十石船の船着場で、川久保から本山寺に向かう道の出発点でした。船唄の7番にある『お捨』は幕末の有名な女盗賊といわれ、前島にお墓があったようですが、所在地は不明です」と。
この句の意味がやっと分かり、ちょっと溜飲が下がる思いですが、「お捨」という女盗賊はどんな人物だったんだろう、どんな運命を辿ったのだろうと、新たな興味が沸いてきました。
この船を操った船頭らがよく歌ったとされる、淀川沿いの地名や風景を謳った「淀川三十石船唄」があります。この唄には、中間地点にあたる枚方や高槻の地名がよく出てきます。
唄は、全部で19節(句)ありますが、この中に、私の生まれ育った「前島」(高槻市)にかかわる次のような句があります。
「ここは前島お捨ての墓じゃ いともさびしい浪の音」というものです。
他の18句に比べて、何と暗く寂しい句なのかと、長い間、気にかかっていました。
インターネットでいろいろと調べていたら、平成25年(2013年)9月25日発行の高槻市広報NO.1296号に、この句の意味について次のような記述がありました。
「(前島は)三十石船の船着場で、川久保から本山寺に向かう道の出発点でした。船唄の7番にある『お捨』は幕末の有名な女盗賊といわれ、前島にお墓があったようですが、所在地は不明です」と。
この句の意味がやっと分かり、ちょっと溜飲が下がる思いですが、「お捨」という女盗賊はどんな人物だったんだろう、どんな運命を辿ったのだろうと、新たな興味が沸いてきました。