1953年9月。7歳の秋。
オレたちを乗せたトラックはやがて、30分ほどで山の手の小学校に着いた。
トラックから降りて講堂に入ると、床にはすでに莚が敷いてあり隅の方には毛布が置いてあった。
暫くして、役所の人がヤカンと湯呑みを持ってきて、「ご自由に飲んでください」といって置いていった。それぞれ4~5人で車座になり座っていたが、みんな心配そうな顔をしていた。年寄りの人の中にはしんどくなってきたのか、毛布に包まって横になっている人もいた。
そのうち、みんなの代表みたいなおっちゃんが、係の人に、「ラジオを手配してもらえないか」と頼んだ。しばらくしてラジオがきた。大人も子どももみんなラジオの回りに集まった。ラジオは“志摩半島に上陸した台風13号は、伊勢湾南部を通って愛知県に再上陸し、分裂して衰弱しながら本州中部を縦断し…」といっている。時計を見るともう0時だ。オレも毛布に包まって横になったが、残った家族のことが心配で眠れない。
役所の人が走ってきて講堂の入り口の扉を激しく開けた。そして、「みなさん集まってください!」と大声で叫んだ。みんなびっくりして飛び起き、係の人の前に集まった。係の人の声が震えていた。「つい先ほど、中堤橋上流で桧尾川左岸が決壊しました」といった。エーッという大きなどよめきが起こり、みんなの顔が引きつった。中には泣き出すやつもおった。すぐ1人のおっちゃんが、「俺らの家はどうなたんや」と怒鳴った。「詳しいことはまだわかりません。わかったらすぐまた知らせに来ます!」といって、その人はまた走って戻っていった。
“桧尾川の決壊”…体がブルブル震えてきた。
オレたちを乗せたトラックはやがて、30分ほどで山の手の小学校に着いた。
トラックから降りて講堂に入ると、床にはすでに莚が敷いてあり隅の方には毛布が置いてあった。
暫くして、役所の人がヤカンと湯呑みを持ってきて、「ご自由に飲んでください」といって置いていった。それぞれ4~5人で車座になり座っていたが、みんな心配そうな顔をしていた。年寄りの人の中にはしんどくなってきたのか、毛布に包まって横になっている人もいた。
そのうち、みんなの代表みたいなおっちゃんが、係の人に、「ラジオを手配してもらえないか」と頼んだ。しばらくしてラジオがきた。大人も子どももみんなラジオの回りに集まった。ラジオは“志摩半島に上陸した台風13号は、伊勢湾南部を通って愛知県に再上陸し、分裂して衰弱しながら本州中部を縦断し…」といっている。時計を見るともう0時だ。オレも毛布に包まって横になったが、残った家族のことが心配で眠れない。
役所の人が走ってきて講堂の入り口の扉を激しく開けた。そして、「みなさん集まってください!」と大声で叫んだ。みんなびっくりして飛び起き、係の人の前に集まった。係の人の声が震えていた。「つい先ほど、中堤橋上流で桧尾川左岸が決壊しました」といった。エーッという大きなどよめきが起こり、みんなの顔が引きつった。中には泣き出すやつもおった。すぐ1人のおっちゃんが、「俺らの家はどうなたんや」と怒鳴った。「詳しいことはまだわかりません。わかったらすぐまた知らせに来ます!」といって、その人はまた走って戻っていった。
“桧尾川の決壊”…体がブルブル震えてきた。
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