1958年11月。12歳の冬。
学校から帰るなり、「ヨシを取りに行ってくれるか」とお母ァが。
淀川の島(河川敷)へ、2、3日前に刈取ってあるヨシを舟で運ぶのだ。
ここのヨシは、許可を受けた隣村の組合に入っているの人しか刈取ることができないのだ。前に他所の者が勝手に刈取り、警察沙汰になったことがる。だから、オレらも勝手に刈取ることができない。ただ、組合の人らが刈取った後の残りヨシだけは刈取ることはできた。
舟で淀川を遡って、ヨシの置いてあるところ着いた。舟を舫いで、おっ母ァが運んできたヨシをオレが積み込む。荷重が片寄らないように気を付けながらやらないとあかんのだ。ヘタな積み方をすると、舟が傾いてヨシもろとも淀川にドボンだ。
持ち帰ったヨシは、風通しのよい淀川堤防の下で、丸太3本を束ねた支え木を囲むように立て掛けた。ここで、2~3週間ほどからっ風に当てて乾かすのだ。このヨシはかまどの焚き物じゃなく、皮をむいてヨシ簾にするのだ。百姓の暇な冬のお母ァの仕事で、これを売って少しでも生活費の足しにするのだ。
学校から帰ると、「手伝ぉうてくれるか」といわれた。暗く寒い納屋の中でヨシの皮を剥く仕事は面白くなく本当は嫌だったが、一生懸命にやっているお母ァを見ているとやらん訳にはいかんかった。お母ァは、あの人がどうしたこうしたと近所の人のことなどを話したが、オレはただ聞いているだけで黙って皮剥きをした。
一服の時の温かいお茶と蒸かした薩摩芋だけが楽しみだった。指先の全部に穴が空いてボロボロになった軍手を脱いだお母ァの手は、いつもひび割れていて血がにじんでいた。オレが、「軍手破れたら取り替えて、メンタムを塗らなあかんで」というと、「そやなァ~」というだけで、短い一服が終わると、また穴の空いた軍手をはめてすぐ仕事にとりかかった。
学校から帰るなり、「ヨシを取りに行ってくれるか」とお母ァが。
淀川の島(河川敷)へ、2、3日前に刈取ってあるヨシを舟で運ぶのだ。
ここのヨシは、許可を受けた隣村の組合に入っているの人しか刈取ることができないのだ。前に他所の者が勝手に刈取り、警察沙汰になったことがる。だから、オレらも勝手に刈取ることができない。ただ、組合の人らが刈取った後の残りヨシだけは刈取ることはできた。
舟で淀川を遡って、ヨシの置いてあるところ着いた。舟を舫いで、おっ母ァが運んできたヨシをオレが積み込む。荷重が片寄らないように気を付けながらやらないとあかんのだ。ヘタな積み方をすると、舟が傾いてヨシもろとも淀川にドボンだ。
持ち帰ったヨシは、風通しのよい淀川堤防の下で、丸太3本を束ねた支え木を囲むように立て掛けた。ここで、2~3週間ほどからっ風に当てて乾かすのだ。このヨシはかまどの焚き物じゃなく、皮をむいてヨシ簾にするのだ。百姓の暇な冬のお母ァの仕事で、これを売って少しでも生活費の足しにするのだ。
学校から帰ると、「手伝ぉうてくれるか」といわれた。暗く寒い納屋の中でヨシの皮を剥く仕事は面白くなく本当は嫌だったが、一生懸命にやっているお母ァを見ているとやらん訳にはいかんかった。お母ァは、あの人がどうしたこうしたと近所の人のことなどを話したが、オレはただ聞いているだけで黙って皮剥きをした。
一服の時の温かいお茶と蒸かした薩摩芋だけが楽しみだった。指先の全部に穴が空いてボロボロになった軍手を脱いだお母ァの手は、いつもひび割れていて血がにじんでいた。オレが、「軍手破れたら取り替えて、メンタムを塗らなあかんで」というと、「そやなァ~」というだけで、短い一服が終わると、また穴の空いた軍手をはめてすぐ仕事にとりかかった。