<アカシアの雨>
このあたりの街路樹はニセアカシアの木が多い。枝に棘はあるが清楚な
白い花が咲く。
古い歌で「アカシアの雨が止むとき」という歌があった。この花に雨が
降ったら情緒があるんだろうな・・と思いをはせる。
<アカシアの雨>
このあたりの街路樹はニセアカシアの木が多い。枝に棘はあるが清楚な
白い花が咲く。
古い歌で「アカシアの雨が止むとき」という歌があった。この花に雨が
降ったら情緒があるんだろうな・・と思いをはせる。
< 松葉雲蘭/まつばうんらんの咲く里 >
平安の昔より交野市から枚方市を流れる天の川(淀川の支流)の両岸は
貴族たちの大事な狩りや野遊びの場所だったという。
今も数多くの歌や遺跡などが残っている。 香里ケ丘は川の西方に有る
丘陵地帯でいまだに豊かな自然が残るいいところだ。
<濡れ衣/忍冬>
今、満開を迎えて辺りに淡い甘い香りを漂わせている「すいかずら」白い花が夕方
には薄い黄色になる花。正式には吸い蔓。どのいきさつで忍冬の名前を使うように
なったのだろう。演歌的情緒をかもすこの名前はとてもすいかずらとは読めない。
しかし、花の清楚な色や形は乙女チックで冬耐え忍ぶなどとは濡れ衣ではないか。
<金宝珠:ブラシの木>
今朝の下弦の月を撮影したいために早起きしてしまった。湿気が有るのか少し靄が
かかっている。ブラシの木が勢い盛ん!夏日に負けない強烈な個性を放っている。
今日も暑くなりそうだ。
<青いぐさ>
藺草:いぐさはタタミ表やゴザに使われている植物である。 新しいたたみのあの
においにはとても懐かしさを伴った爽やかさがある。 湿り気のある川岸や山の端
などに自生する。とても種類が多く身近で見かける丈50cmぐらいのものから栽培
されているタタミ表になるものは丈1mほどにもなる。
<咲けよ小手毬>
小手毬の良さはその愛らしさ、色はやはり純白がいい。見てくれに似ず丈夫で花付きが
いい。大手毬という紫陽花に似た10cmほどの花もあるが別種の様で見てくれのちがい
から大小の呼び名で呼ばれる。
<金色麦秋>
以前、青い麦の出穂をアップしたがそろそろ刈り入れの頃なので様子を
見に行った。丁度、おばさんが手入れをされているところでまさに金色
麦秋である。畑に入らせてくれたので倒さないように気を付けて撮影。
ちなみに私の麦は栄養不足で消滅残念。
<あおい梅の記憶>
すぐ近くに若い白い花の咲く梅がある。 私はこの一重咲きの梅が好きで
たびたび撮影の相手をしてもらう。
今は青々とした葉っぱの影に所々まん丸の実が見え隠れしている。
子供の頃梅を漬けるため庭の大木を竹ざおで揺すって梅の実を取った。
戯れに生をかじると親に「毒があるからダメ!」とこっぴどく怒られたものだ。
<春紫苑/はるじおん>
昨日の陶芸はてくてくと歩いて教室のある枚方南部教育センターまで歩いて行った。
元気の時は約30分ほどで行けるのだが、多分歩幅が小さいか回転数が少ないのだろ
う45~50分くらいかかる。途中の道脇に長椅子が有るので疲れたら一息いれながら。
周りにははるじおんが花盛りであるが、バス道のけやき通りみたいに素敵な木陰は
ない。でも、近道で自転車や人通りも少ないのでこの道にした。
リハビリウォークをかねてあえて徒歩にする。帰りは車で迎えにきてもらう。
<おぼろ満月>
月の出を今か今かと待ちおれば和菓子のようなおぼろ満月。東の空にボウと浮く。
目鼻もわからぬ傘のうちこそ見目麗しきかぐやの姫のうつむきたまふ姿かな。
<陶芸教室/鉢物>
赤土 径125mm✕高さ75mmうち高台12mm
大鉢にならず中鉢サイズ 内面マット系白にして外面青萩の吹き付け赤土地肌を
生かす予定。木星の表面みたいなイメージ。左手の小指人差し指から手首へ痺れ
があり、右手人差し指の不自由さがあるので成型するのに一苦労。鉢に予測しな
い小さな傷があちこち入りその修正に大半を費やす。がまん がまん。
<羽衣ジャスミン>
おはよう地球。素敵に晴れた日曜の朝は気持ちいい。起きだして大きく深呼吸。
羽衣ジャスミンは冬の沈丁花と同じく香りでわかる。この花を見る人はみんな
蝶や蜂になる。漢字で書くと茉莉花 横文字も漢字も美しいひびきがある。
<えごの花>
「えご」といってもあのエゴイズムの「エゴ」ではない、庭木や公園の花木として
良く見かける木全体が真っ白になるほど花の咲くあの「えご」である。
1cm足らずのチューリップの形を逆さまにつるしたような花はびっしりと咲いて
別名「森のシャンデリア」とも、なるほど~と思わせる。この後になるまん丸の実
は数個取り水でもむと泡立つので石鹸の木としても使われた時期もあったようだ。
<母子草と父子草>
どちらもキク科ハハコグサ属。似て非なる姿のこの2種の雑草。母子草は春の七草
「ごぎょう」で若芽を食べられるそうだ。ビロードのような柔らかい緑と花はほの
ぼのとした優しさが有るが父子草はなんとも侘しい姿。植物の世界も女性が美しく
優し気なのが丸く収まるということか。