<寒中麗花/日本水仙>
黄色い王冠のある日本水仙の良さは寒風ものともせずにキリリと咲く
その姿にある。 ものみな枯れ果てた真冬の風景の中にすらりとした
姿は美しい。
ヒガンバナ科スイセン属
別名 ニホンズイセン フサザキスイセン 雪中花
<寒中麗花/日本水仙>
黄色い王冠のある日本水仙の良さは寒風ものともせずにキリリと咲く
その姿にある。 ものみな枯れ果てた真冬の風景の中にすらりとした
姿は美しい。
ヒガンバナ科スイセン属
別名 ニホンズイセン フサザキスイセン 雪中花
<もふもふの猫やなぎ>
おはようちきゅう。
近所の田んぼの端っこに植えられている猫やなぎ冬のからをやぶって
うまれたばかり。柔らかい綿毛があったかそう。
本格的な暖かさはまだ先のことだろうが、自然界の春は着実ににじり
寄ってきている。
<さざんか うふふ>
保育園の柵の間からさざんかがのぞく。
まるで園児たちが柵につかまって外をながめているみたい。
それぞれが外に向かって手を振って
わらいかけているみたい。
<姫たちばな/金柑>
昼間はおだやかな天気。
すずなりの金柑が冬の柔らかい陽射しに光っている。いずれもまん丸
の実は判でおしたように粒が揃っている。
別名:姫たちばな 蜜柑一族では最も小さい部類にはいる。
実も皮も食べることが出来、漢方薬の材料でもある。
<冬空と下弦>
今日は下弦。層雲が帯を流して空一杯に広がっている。下弦の月は・・
と目で探す。いたいた刷毛ではいたような層雲の右下にかくれるように
この好天も午前中だけで午後から分厚い雪雲に覆われてしまった。25日
<山茱萸/さんしゅゆ>
春先に化粧ブラシの先のような黄色い花の咲く山茱萸、冬の始まり頃
グミのような赤い実をつける。グミと違うのは青い葉が付いていない
しかしかわいい実である。ただこの実は食べられるのかどうかわから
ない。一見しておいしそうな実では有る。
<縁起が良くてお金持ちの木/くろがねもち>
「苦労がなくてお金持ち」とまことに結構な樹木でモチノキの仲間。
公害や病虫害に強いので街路樹に植栽される。
黒鉄(くろがね)は葉の色が古くなると鉄色になるところからで秋ごろ
から鮮やかな赤い実がなる。
<木蓮綿毛>
おはよう地球。
厳しい寒さは今朝も健在。着ぶくれした体の隅っこから遠慮なく冷えが
しみ込んでくる。バス停横の木蓮もつぼみは大きくなったが暖かそうな
綿毛にくるまれて未だ眠りさめやらずである。
<金色の湖/ろうばい>
くだんの蝋梅が満開になってきた。おとなし気な花と思っていたが満開
になるとこんなに豪華になるんだと認識をあらたにする。
枝の中に体を入れると花の数に圧倒され金色の湖に身をゆだねたような
錯覚さえおこる。 すばらしい・・・
<旧知のさざんか>
私のウォーキングのコースの折り返し地点は3年前まで住んでいた場所の
近辺である。現在住んでいるところよりもはるかに長い時代を生きて来た
場所だ。従って季節になるとあのお宅の外塀には白いバラが垂れ下がる。
ここのお宅の紫陽花は「隅田の花火」だとか季節の移りを肌で感じる。
この山茶花もそうで交差点の信号の角っこにある古木でかなり大きい。
あふれんばかりの花の数は今も健在だ。
<八朔>
家の裏山を越えたところは開けた田んぼである。その一角の小さな畑に
八朔が2本植えて有り、黄色い重たげな実がいくつもなっている。
「八朔」とは文字通り八月初めを指すがそのころのハッサクは実も青い
旧暦の9月ごろから収穫が始まり1~2ヶ月寝かせるのでこの名になった
らしい。食べごろは丁度今頃から2月ごろまでなのでピンとこない名前の
つけようである。
<実南天>
普通南天は赤い実がびっしりつくものだが、この南天の実はまばらで
すきまだらけ。南天は「難を転ずる」めでたい樹として大事にされる
昨今のコロナ禍や異常気象、火山の大噴火など相次ぐ災難に南天の
細木などでは間に合わないサインなのか。
<冬木立の静寂/やぶ椿>
冬の木立は静寂そのものだ。 時折り訪れるめじろのつがいらしき声が
木立の枝のすきまから漏れ聞こえてくる。私は発声練習をやめて鳴き声
に耳を澄ます。そばにはやぶ椿のつぼみが薄く色づいている。
<素心蝋梅>
蝋梅が咲き始めた。梅、水仙、椿と共に雪中四花のひとつに数えられる。
花芯が暗紫色でなく淡黄色なので素心蝋梅と言う。
そばに寄るとかすかに淡い上品な香りが漂う。花はまるで薄葉紙で作った
ごとく少し透けた感じの花である。これから満開の時期にかかる。
<枯れ紫陽花>
おはよう地球。世間は真冬しかもコロナ渦中。
ここにひともとの紫陽花がある。若い頃は青だったかピンクだったか。
きっとみずみずしい色で見る人を魅了したにちがいない。
しかし、この枯れ色も捨てたもんじゃない、見るほどに鮮やかな色を
ほうふつとさせるカタチを残している。