今日は、東銀座に用事があって会社を早抜け。その足で旧築地川を遡上してみた。築地川といってもこれは人工の堀割で、地図を見るとその名残はいまだにハッキリと残っている。実際、この場所は築地川公園と云う名で公園化され、橋の欄干はそのまま残されているのでした。
これは備前橋の欄干。帰ってネットで調べりゃすぐ解ると思ってメモも取らずに進んだが、帰ってみたらまともな資料がヒットしない。
実際、現在の首都高は川だったと云う事が解るととたんに江戸の景色が蘇ってくる感じじゃないだろうか。
そして今日の建築物たち
改造社書店
歌舞伎座
云わずと知れた歌舞伎座は1924年築。でもこれって鉄筋コンクリートなんですよね。見た目は完全に和風ですが。
京橋築地小学校
トイスラー記念館
暗くて撮れず。
聖路加病院聖ルカ礼拝堂
カトリック築地教会
すごいですね。こんなに素敵だとは思ってませんでした。
築年をみるとカトリック教会が1927年で道路向いの明石小学校が1926年。こちらの小学校もすごく味がある。
味があるけど、どこか嘘くさい。今となってはそれなりに歴史を重ねた建物と言えるが、やはりどこが虎の威を借った雰囲気があると僕は感じる。そして背伸びして、真似し西洋に近づこうと頑張っている健気さも、そして危うさもあると思う。
明石小学校
そして、本日のメインイベントはここ、石川島灯台(人足寄場跡)
ここは江戸末期から明治にかけて軽犯罪者を収容する施設だった訳だが、矯正、監獄といった概念で囚人を囲い、彼らに赤煉瓦など近代化の基礎となる資材の製造を行わせ、結果、西洋的な建築物を建てる事が出来たと云うことらしい。
ここへ人や原材料を運び込むために、船が行き来し、船の航行の為に大きな灯台があったと云う訳なのだ。
ここで作られた赤煉瓦によって、東京駅が作られたりしていると云う事らしい訳で、近代化と犯罪者を収監する監獄と矯正と近代化とグルグルと回る回るこの因果に僕は引き寄せられてしまうのでした。