浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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弾左衛門と浅草を行く

2010-01-29 23:19:00 | 出来事
仕事が急激に押してきて終わらん。どうしようもないので、週末に家でまとめて作業する事にした。週末に仕事ホントはしたくないんだけど、どうしようもない。

週末家で仕事をするのだと云う事で覚悟を決めた以上、だらだら会社に残っていても仕方ない。なのでとっとと、机の周りを片付けて、夜のお散歩に繰りだした。

目指すは浅草。弾左衛門の縁の地へ弾左衛門の本を本人の身代わりに連れて巡ってあげよう。弾左衛門はきっと、自分の事が本になって、その本を小脇に自分の住まう場所に誰かがやってくるなんて夢にも思っていなかっただろう。

宝蔵時

送信者 文化財部


待乳山聖天

送信者 文化財部




伝法院 五重塔

送信者 文化財部



でも、今夜僕は本を抱えて、弾左衛門がきっと渡ったであろう、今戸橋を渡り、拝んだに違いない本龍院の本尊が奉られているらしい待乳山聖天を訪れ、今戸神社にも御参りしてきた。

今戸橋

送信者 水門と橋その2


弾左衛門の住まいはこの今戸橋付近にあったらしい。小説ではなんどもこの橋の描写が出てくる。

当時は、割掘として、幾つも橋が架かっていたようだが、いつしか暗梁化され、現在はその地下の流れも止まっているもののようだ。
現在、この場所は山谷堀公園となっており、当時の橋、今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、紙洗橋、地方新橋、地方橋、日本堤橋の欄干は今でも残っいる。

いつかまた来て、今度はこの山谷堀をずっと千住方面へ辿ってみたいと思う。

今戸神社

送信者 文化財部



本を通じて彼の魂に伝わったらな弾左衛門もきっとこの地を懐かしんでいたことだろう。本人も喜んでくれているのではないかと勝手に思い込むことにする。

神谷バー

送信者 建築部


1921年築だそうだ。もうすごくおしゃれな感じです。


地下鉄浅草駅

送信者 建築部


単にそれっぽく作ってるのだろうと思っていたのだが、実は実際にかなり古く1929年に出来たものなのだそうだ。それって凄くない?

駒形どぜう

送信者 建築部



浅草聖ヨハネ教会

送信者 建築部


こちらも1928年築。写真ではわかりませんが、正面のステンドグラスは素敵でした。明るい時に是非観たい。



浅草からずずっと南下して八丁堀を目指す予定であったのだが、人身事故で電車が遅れ、あちこちとお参りしたり寄り道をしていたらすっかり遅くなってしまったので、小伝馬町付近でギブアップ。

日比谷線経由で帰ってきました。