五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

ガルフカラーのミニカー

2012年04月10日 | ミニカー
水色の車体に鮮やかなオレンジ色のストライプ、一度見ると忘れないガルフ・カラーです。

ガルフオイルはかつての国際石油資本のセブンメジャーの一つ(今はシェブロン傘下)です。
1967年、名将ジョン・ワイヤーと組んでスポーツカー・レースに参戦(この年はミラージュ)、68年・69年とフォードGTでル・マン24時間レースを制します。
特に、1969年にはポルシェ908と最終ラップまでデッドヒートを繰り広げての勝利でした。このことは以前別のブログ「ガルフカラーのフォードGT40」に書きました。

このとき紹介したミニカーはジョエフというフランスのメーカーのものでしたが、同じ69年のWinnerのミニカーはもう一台あって、それが少し前に手に入れた下の写真のBang(バン)製のもの。



ジョエフ製のものはリアカウルのほかに両サイドのドアやフロントのフェンダーが開きますが、Bang製のものはリアカウルのみが開きます。全体の作りはBang製の方がシンプルというか大雑把というか...。
いや、別にドアが動かないからシンプル、という意味ではなくて、ワイパーの取り付け具合やエンジン周りの再現、タイヤやホイールなどの細部を見比べた結果なのですが。

それはさておき翌1970年、ジョン・ワイヤー率いるJWオート・モーティブはフォード時代の宿敵ポルシェと手を組み、ポルシェにスポーツカー選手権二連覇をもたらします。
しかし、同年のル・マンには3台のポルシェ917をエントリーさせたもののすべてリタイヤという結果に終わってしまいました。
ついでに言うと、その翌年の1971年もガルフカラーのポルシェ917はル・マンでは優勝することは出来なかったのです。

ル・マンでの成績は芳しくなかったガルフカラーのポルシェ917でしたが、スティーブ・マックイーン主演の映画「栄光のル・マン」が公開されたことで一躍有名になりました(中学校時代に映画館でわくわくして見たものです)。
ということで、ガルフカラーのポルシェのミニカーは各社から出されていますがどれもすごい人気なのです。



上記の写真のうち、#20はスパーク製ですが、残りの#21と#22は最近通販で購入したブルム製のものです。
永らく#20一台だけだったので、何とか揃えようとしましたがスパーク製では無理でした(#21は限定333台なので中古市場にもめったに現れませんし、出たとしてもとんでもない高額なのです)

ブルムはイタリアのメーカー、この2台は新しく出された「917コレクション」というシリーズのミニカーで下の写真のようになかなかしゃれたパッケージに入っています。
ヨーロッパでの販売価格は25ユーロ(約2,600円)といいますからリーズナブルな価格といえるでしょうか。国内でもほぼ同じような値段で入手できます(今のところ、ですが)。

ブルム製のミニカーはスパーク製に比べると細かな部分の質感はイマイチの感は否めませんが、ともかく3台揃えたいという気持ちは抑えきれず...。
特徴的なガルフカラーはブルム製の方が本物に近いような気がします(ほとんど負け惜しみ)。スパーク製は値段だけのことはあります。



余談ですが、ガルフカラーのマシンは1975年、ミラージュGR8で再びル・マンを制することになります。
エンジンはフォード・コスワース製でした。



ちなみに#11が優勝したマシンで、ドライバーはジャッキー・イクスとデレック・ベル。このコンビはその後1981年にポルシェ936/81で、翌1982年にポルシェ956Lでル・マンに優勝しています。
#10は総合3位に入りました。ミニカーはいずれもミニチャンプス製です。

さらに余談ですが、

その後もガルフオイルはマクラーレンGT-R、アウディ、アストン・マーティンなどのメーカーのレースサポートを行っています。
下記のサイトでそのあたりは詳しく知ることが出来ます。ご興味のある方はどうぞ。

 → ガルフオイル・ジャパン



コメント (2)
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母と祖母の法事

2012年04月10日 | 日々のつれづれに
早いもので母と祖母が亡くなってから12年。
日曜日、二人の十三回忌追善供養を菩提寺・平塩山宝寿院でおこないました。

今回は、我が家の家族5人と隣に住む叔母・いとこの家族を含めて全部で11名。
いわゆる“内っきり”という、こじんまりとした法事になりました。

祖母は平成12年5月1日のお昼に自宅で亡くなりました。
この日と同じ、暖かい日差しの中で眠るように。95歳の大往生でした。
祖父が亡くなって十年以上を過ごしてきたのですが、前年に長男(私の叔父)を亡くし、生きる力もだいぶ衰えてしまったのかもしれません。

母は祖母の四十九日を行った翌週に突然亡くなりました。
祖父と祖母二人の介護を十年以上も続け、「これでやっと楽になれる」と話していた矢先の出来事でした。
実は四十九日の準備をしているときから体調が十分ではなく、医者から入院を進められたのですが「四十九日が終わるまでは」とがんばった挙句のことだったのです。

生前仲の良かった祖母と娘(母)なので、当時は祖母がさびしがって母を連れて行ってしまったと思ったものですが、今は先にあの世に行った祖母と叔父の4人で仲良く暮らしていると常々思っています。

宝寿院は今が桜の真っ盛り、それに「花祭り」の日だったので境内にたくさんの人がいて、穏やかな日と相まって母たちの法事にふさわしい一日だったかなと思います。
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