トヨタ7については以前に少し取り上げましたが、今回は新しく入手したものも含めて再登場です。
上の写真は、1968年の日本グランプリ(日本GP)に出場した4台の3リッター・トヨタ7です。
前年の大会でポルシェカレラ6とニッサンR380の戦いを「指をくわえて」見ていたトヨタは、両者に対抗すべくまったく新しいプロトタイプのレースカーを開発しました。
それがトヨタ7でした。
ごらんのとおりのかっこいいスタイリングで、V8・DOHCエンジンを積んだレースカーだったのですが、排気管の形状を見ても2台ずつ異なるなど、まだ開発段階だったのかと思わせるようなところもありました。
また、当初はけっこう軽量なクルマだったらしいですが、その後あちらこちらを補強するなどして次第に車重が増加してゆき、それとともに戦闘能力も失われていったようです。
レースファンは「TNT(トヨタ-ニッサン-タキ)のビッグマシン対決」といって盛り上がりましたが、結果は5.5リッターエンジンを積んだニッサンR381の圧勝でした。
ちなみに各マシンの成績はというと、
カーナンバー1の赤い車(細谷四方洋選手)は予選10位、決勝はリタイヤ。
カーナンバー2のダーク・グリーンの車(福沢幸雄選手)は予選6位、決勝は14位。
カーナンバー3の白い車(鮒子田寛選手)は予選9位、決勝は9位。
カーナンバー5のアイボリーの車(大坪善男選手)は予選12位、決勝は8位。
でした。ちなみに、福沢選手の車はミニカーではどう見ても黒色です。
引き続いて、翌1969年のトヨタ7についても書く予定でしたが、それはまた次の機会に譲ることにしましょう。
※ミニカーはエブロ製、1/43スケール。
上の写真は、1968年の日本グランプリ(日本GP)に出場した4台の3リッター・トヨタ7です。
前年の大会でポルシェカレラ6とニッサンR380の戦いを「指をくわえて」見ていたトヨタは、両者に対抗すべくまったく新しいプロトタイプのレースカーを開発しました。
それがトヨタ7でした。
ごらんのとおりのかっこいいスタイリングで、V8・DOHCエンジンを積んだレースカーだったのですが、排気管の形状を見ても2台ずつ異なるなど、まだ開発段階だったのかと思わせるようなところもありました。
また、当初はけっこう軽量なクルマだったらしいですが、その後あちらこちらを補強するなどして次第に車重が増加してゆき、それとともに戦闘能力も失われていったようです。
レースファンは「TNT(トヨタ-ニッサン-タキ)のビッグマシン対決」といって盛り上がりましたが、結果は5.5リッターエンジンを積んだニッサンR381の圧勝でした。
ちなみに各マシンの成績はというと、
カーナンバー1の赤い車(細谷四方洋選手)は予選10位、決勝はリタイヤ。
カーナンバー2のダーク・グリーンの車(福沢幸雄選手)は予選6位、決勝は14位。
カーナンバー3の白い車(鮒子田寛選手)は予選9位、決勝は9位。
カーナンバー5のアイボリーの車(大坪善男選手)は予選12位、決勝は8位。
でした。ちなみに、福沢選手の車はミニカーではどう見ても黒色です。
引き続いて、翌1969年のトヨタ7についても書く予定でしたが、それはまた次の機会に譲ることにしましょう。
※ミニカーはエブロ製、1/43スケール。