【F1】「ホンダ×マクラーレン」最強時代再び!7年ぶり参戦表明(スポーツ報知) - goo ニュース
ホンダがF1への参戦を表明しました。
本業の業績が良いことや、F1のレギュレーションが変更になってより市販車へのフィードバックがしやすくなることなどが参加の理由だそうですが、ホンダという会社、レースとは切り離せない会社のようですね。
私はF1のミニカー(1/43スケール)は3台しか持っておらず、それも1969年から1971年あたりにかけてのもの(フェラーリ、ロータス、BRMが各1台)なので、ホンダとは無縁なのです。
と思ったら、トミカの箱が3つ出てきました。
なんとすべてホンダのエンジンを載せたF1マシンでした。
これも何かの縁なのでしょうか。
ウィリアムズFW11B/ホンダは、1987年のシリーズに投入されたクルマ、ナイジェル・マンセルとネルソン・ピケの二人のドライブにより、全19戦中9勝をあげ前年に引き続きコンストラクターズ部門のチャンピオンを獲得しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c9/fc35fbfa2c2d02e02aa277f10a679933.jpg)
カーナンバー5はナイジェル・マンセルがドライブしたマシン。
マンセルは6勝をあげたもののリタイヤも多く、また終盤の2レースを欠場したため、3勝ながら2位6回とコンスタントに走ったピケがワールド・チャンピオンになりました。
エンジンは1498cc、V6ターボエンジンといいますから、新レギュレーション(1600cc、V6ターボ)のものに近いエンジンですね。
鮮やかなキャメル・イエローのロータス99T/ホンダは、1987年のシーズンに投入されたクルマ、アイルトン・セナと中嶋悟の二人のドライバーによってドライブされました。
戦績は、セナが優勝2回、2位3回。一方の中嶋選手は第7戦のドイツGPで4位になるなど合計4回入賞を果たしましたが、残念ながら表彰台に立つことはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e0/a23f620fad49733d293225870e3d32ff.jpg)
カーナンバー11は中嶋選手のドライブしたマシン。
こちらもウィリアムズと同じく1498cc、V6ターボエンジンでした。
マルボロ・カラーのマクラーレンMP4/4 ホンダは1988年のシーズンにアラン・プロストとアイルトン・セナの二人のドライバーによってドライブされました。
このシーズン、全16戦中実に15勝をあげ、ダントツのコンストラクターズ・チャンピオンを獲得、ドライバー部門も8勝を挙げたセナが初のワールド・チャンピオンとなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/6f/3ea5270fce0b330d9932980947846167.jpg)
カーナンバー11はアラン・プロスト搭乗のマシン。
ホンダの名高いRA168Eターボエンジンは、1498cc、V6ツインターボ。
チームが変わったこともあり準備が遅れて心配されたものの、この年から燃料タンクの容量が減らされたこともあり、低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使したホンダ・エンジンの圧勝に終わったシーズンでした。
ちなみに「音速の貴公子」ことセナは、この後1990年と1992年にもワールド・チャンピオンを獲得し、1994年5月1日の第3戦サンマリノGPで首位走行中に事故を起こし帰らぬ人となりました。享年34歳。
ホンダがF1への参戦を表明しました。
本業の業績が良いことや、F1のレギュレーションが変更になってより市販車へのフィードバックがしやすくなることなどが参加の理由だそうですが、ホンダという会社、レースとは切り離せない会社のようですね。
私はF1のミニカー(1/43スケール)は3台しか持っておらず、それも1969年から1971年あたりにかけてのもの(フェラーリ、ロータス、BRMが各1台)なので、ホンダとは無縁なのです。
と思ったら、トミカの箱が3つ出てきました。
なんとすべてホンダのエンジンを載せたF1マシンでした。
これも何かの縁なのでしょうか。
ウィリアムズFW11B/ホンダは、1987年のシリーズに投入されたクルマ、ナイジェル・マンセルとネルソン・ピケの二人のドライブにより、全19戦中9勝をあげ前年に引き続きコンストラクターズ部門のチャンピオンを獲得しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/c9/fc35fbfa2c2d02e02aa277f10a679933.jpg)
カーナンバー5はナイジェル・マンセルがドライブしたマシン。
マンセルは6勝をあげたもののリタイヤも多く、また終盤の2レースを欠場したため、3勝ながら2位6回とコンスタントに走ったピケがワールド・チャンピオンになりました。
エンジンは1498cc、V6ターボエンジンといいますから、新レギュレーション(1600cc、V6ターボ)のものに近いエンジンですね。
鮮やかなキャメル・イエローのロータス99T/ホンダは、1987年のシーズンに投入されたクルマ、アイルトン・セナと中嶋悟の二人のドライバーによってドライブされました。
戦績は、セナが優勝2回、2位3回。一方の中嶋選手は第7戦のドイツGPで4位になるなど合計4回入賞を果たしましたが、残念ながら表彰台に立つことはできませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/e0/a23f620fad49733d293225870e3d32ff.jpg)
カーナンバー11は中嶋選手のドライブしたマシン。
こちらもウィリアムズと同じく1498cc、V6ターボエンジンでした。
マルボロ・カラーのマクラーレンMP4/4 ホンダは1988年のシーズンにアラン・プロストとアイルトン・セナの二人のドライバーによってドライブされました。
このシーズン、全16戦中実に15勝をあげ、ダントツのコンストラクターズ・チャンピオンを獲得、ドライバー部門も8勝を挙げたセナが初のワールド・チャンピオンとなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/6f/3ea5270fce0b330d9932980947846167.jpg)
カーナンバー11はアラン・プロスト搭乗のマシン。
ホンダの名高いRA168Eターボエンジンは、1498cc、V6ツインターボ。
チームが変わったこともあり準備が遅れて心配されたものの、この年から燃料タンクの容量が減らされたこともあり、低燃費ハイパフォーマンス技術を駆使したホンダ・エンジンの圧勝に終わったシーズンでした。
ちなみに「音速の貴公子」ことセナは、この後1990年と1992年にもワールド・チャンピオンを獲得し、1994年5月1日の第3戦サンマリノGPで首位走行中に事故を起こし帰らぬ人となりました。享年34歳。