今から11年前の今日、2003年の8月6日、私は広島にいました。
中学校のPTAの会長として十名ほどの子供たちを引率して原爆の日の記念式典に参加するためです。
今日の広島とは違い、朝からじりじりと焼け付くような陽ざしの中で、広島市長、そして当時の小泉首相のあいさつを聞いた記憶があります。
会場の広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」に捧げられていた折鶴がいたずらのために放火された直後だったでしょうか。
原爆ドームを眺め、祭壇に花をささげ、原爆資料館で色々な写真や当時の資料を見て、一日中原子爆弾と向かい合って過ごした一日でした。
朝、テレビを見ながら当時のそんな出来事をぼんやりと思いだしていました。
核の無い世界を目指すと言いながら、わが国は今もなお、近くの国のミサイル一発で吹き飛んでしまうような環境に置かれていることに変わりありません。
一度手に入れたチカラを放棄することの難しさはわかりますが、願わくばそのボタンを押す人たちに、核はあくまでもその抑止力のためのものであるとの理性を持ち続けていて欲しいと願わざるを得ません。
中学校のPTAの会長として十名ほどの子供たちを引率して原爆の日の記念式典に参加するためです。
今日の広島とは違い、朝からじりじりと焼け付くような陽ざしの中で、広島市長、そして当時の小泉首相のあいさつを聞いた記憶があります。
会場の広島平和記念公園内にある「原爆の子の像」に捧げられていた折鶴がいたずらのために放火された直後だったでしょうか。
原爆ドームを眺め、祭壇に花をささげ、原爆資料館で色々な写真や当時の資料を見て、一日中原子爆弾と向かい合って過ごした一日でした。
朝、テレビを見ながら当時のそんな出来事をぼんやりと思いだしていました。
核の無い世界を目指すと言いながら、わが国は今もなお、近くの国のミサイル一発で吹き飛んでしまうような環境に置かれていることに変わりありません。
一度手に入れたチカラを放棄することの難しさはわかりますが、願わくばそのボタンを押す人たちに、核はあくまでもその抑止力のためのものであるとの理性を持ち続けていて欲しいと願わざるを得ません。