松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

「何でも好奇心」横浜中華街の歴史と魅力

2005-04-07 | 日常雑記-暮らしの逸話(エピソード)-
NHK教育で始まった新番組『知るを楽しむ』。
水曜日のテーマは「なんでも好奇心」。
4月は横浜中華街~人・街・食の歴史物語を全4回にわたって
放映する予定になっています。
横浜中華街はよく訪れるところですから、
それこそ興味津々で第1回を見ました。

牌楼をくぐって横浜中華街に足を踏み入れると、
この街の道がみな斜めに走っているのが
不思議だったのですが、幕末に埋め立てて作られた
横浜新田の跡地に作られたことが
番組内で紹介されていました。
しかも当時の新田の形状と現在の街の形状は
ピッタリ一致するのです。
つまりあの斜め道はあぜ道の名残りだったのです。
でも、確か震災や空襲のたびに復興した中華街です。
現在までずっと同じ形状を保ったというのも
何か理由があったのかもしれません。

西洋文明を日本に紹介するための橋渡しをしたのが
華僑と呼ばれる中国人です。
中国では既に西洋人相手に取り引きを行っていましたから
英語もわかるし、日本人とは筆談で交渉ができる
というメリットがあったため、
居留地で商売を始める西洋人たちがこぞって彼らを
雇ったのです。
こうして彼らは西洋人とともに横浜にやって来ました。
巧みな商才と感覚で
西洋人と日本人との通訳をつとめるなど(買弁=「ばいべん」と言った)、
彼らの存在なくして日本の文明開化はなかった
ということでしょう。

彼らの街づくりは独特だったようです。
もちろん日本からは就業規制を受けていたこともあって
限られた業種の中から
料理人、理髪、洋裁などに就いたようで、
例えば広州出身者は料理人、
上海や香港出身者は貿易関係というように
出身地ごとに業種がだいたい決まっていたというのも驚きでした。
競合するのではなく
それぞれの得意とする分野をいかしながら
彼らの街とくらしを作り上げていったのです。

横浜開港当時の中国は清国。
清朝政府から追われる身であった
孫文をかくまったのも
横浜中華街の華僑たちでした。
孫文と同郷の広州人を中心に華僑と呼ばれる人達が
日本と清国の微妙な関係の中で
どのようにして生きてきたのかなど、
末裔の方達による興味深い話がきけました。

それにしても孫文が歩いたかもしれない道を
知らずに歩いていたのかと思うと…。