松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

姿勢で遊ぶ

2005-10-28 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
現在キャンペーン中の練習の影響もあるのか、
頭の中にいつも姿勢がある。

「姿」と「勢」。
個人的には姿とは形、容れ物みたいなもの。
勢は生き生きした感じを与えるもの、
生気のようなもの、
エネルギーのようなものかなと思う。

正しい姿勢というのは正しい形であり、
生気が自在に活動できるような
容れ物の状態だったりするのかななどと考えては、
骨盤の巻き上げをチェックしたり
背骨を真っすぐに維持する状態というのを、
さまざまな姿勢で確認してみたりして遊んでいる。
まさに遊び感覚に近い。
なぜならば、まだ姿勢を理解しているわけではないからだ。
検証中みたいなものだ。

正直なところ、基本姿勢以外は
これが正しい姿勢だと確信できるものは
まだ少ない。
姿と勢のバランスがよくわからない。
姿が正しくなければ、
つまり過不足がある状態であれば、
当然のことながら勢も満たされないだろう。
それはいい感じの風船になれない
ということと同じことではないか。

日常生活の動きにも
当然姿勢は関係してくるわけで、
改めて練習などと意識すると
わからなくなってくるから
遊び感覚で行ってみているわけ。

直接的には練習効果とはいえないかも
しれないのだけれど、
こういうところから突然に
閃いちゃったりすることがないとはいえない。
私の練習は動作練習だけではなく
遊びが主体だといってもいいかもしれない。

ある切実な思いから自分は導引練習をしてきただけで、
動作を覚えるために練習したことはほとんどない。
あるとすれば交流会の練習くらい。
自然に覚えてしまう程度の練習では
(自分の課題をクリアするには)
まだ足りない練習があるということなんだろうなあ。

動作は数をこなせば誰でも必ず覚えられるもの。
数をこなすとは、たとえばの話、
週1回練習すれば1ヶ月で4回。1年で52回。
毎日だったら1ヶ月で30回。1年なら365回。
これは極端だけれども要はそういうことだと私は思う。

だからといって毎日練習しなくちゃ
いけないというわけでもない。
私が言いたいことは動作要領に関しては、
くり返し動いていれば、誰だって覚えてしまうということ。
言い換えれば、動かなければ覚えないということ。
何回やれば覚えられるかなんてことには
意味がないと思う。
早く覚えればよくなるというわけでもないし、
動作は手段であって
目標はもっと別のところにあるのでは?
姿勢について考えているとそんな気がするんだけど。

太極導引をやればやるほど難しい
と思えてくるのは、
見た目の動き以外のものに
徐々に気づくからではないのかなと思う。
いつになったら気づくのかとか
どれくらいやればいいのかとじっと考える時間があるのなら
基本姿勢をとりながら動いて考えてみるとか、
そういうことなんじゃないのかな。

誰のためでもなく自分のためにやっているのだから、
答えはいつも自分の中にあるんだろうな
と思うこの頃。