松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

釣りと導引

2006-04-07 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
集中と緊張についての続き。
必要な緊張は集中力のようなものかな
と書いたのだけれど、
そのイメージに近いものは何だろうかと
考えてみたところ、
釣り糸を垂らしてアタリを待っている状態が
近いのかもしれない。

導引練習の場合、意念と呼吸と姿勢動作と
3つの要素が含まれている。
中でも地道な練習を要するのが
意念かもしれない。

意念とはある目的をもって意識を働きかけること
と、自分なりには解釈しているのだが、
この感覚が機能しだすと
呼吸も動作も制御(コントロール)することができてくる。
制御もまた、力に頼って行うのではなく、
意識の働きかけで行うものであることがわかってくる。
文字通り「意のままに」の状態を目指している
といってもいいのかもしれない。

釣りはアタリをひたすら待つもの。
水面の浮きやら竿に伝わってくるアタリに
気を配り続ける。
この集中の仕方がすごく似てないかなあと思うのだ。
見るとはなしに見ている。
外見はのんびりと構えていて、
ちょっと真剣さが足りないんじゃないのと
思うくらいにリラックスしているが
竿にかけた手、指は動かない。
握りしめているのではないけど離さない。
視界の中で浮きをとらえている。

緊張していないわけではないとは思うのだけれど、
こちらには伝わってこない。
たぶんこちらにまで伝わってくるようだと
釣り針の先の餌にまで
ビリビリ伝わってしまうものなのかも。
まさに駆け引き。
人と魚、どちらの方が
より自然になじんで
一体化しているかが勝負なのかなあ。

このときの集中と緊張のバランスが、
たぶん導引でいう
程よい緊張と集中のバランスに似ているのではないか
と睨んでいるのだけれど。
アタリを待つことは辛抱強さだけではない。
一定の注意を向け続けていられる程度に
緊張を保ち続けている。疲れればゆるめもする。
でも一度アタリがあれば
すぐに対応できる準備は怠らない。

このあたりの感覚は
導引のときの意識とよく似ている気がする。
導引に必要な緊張感は強弱といった問題ではなく、
質の問題かもしれない。
それは呼吸と同じで細く長く糸のような状態で、
静かに体の隅々にまで巡らされているようなもの。
だから集中力みたいなものなのかな
と思っているのだが…。

釣りにしろ導引にしろ、
そうした“あんばい”みたいなものは
自らの体で覚えて行くしかない。
どのくらい続ければいいのだろうとか、
そういうことが気になるうちは
まだ自分に向ける集中力を出し切れていないのかも。
期待感も緊張の一種。
こうした心理的な緊張も不要な緊張であり
集中を妨げることにも繋がっているのだろう。

アタリを待つ釣り人の心境を思って
導引を行ってみるのもいいかもしれない。