松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

自転車と導引

2006-04-11 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
集中と緊張の第3弾。
前回は、釣りのアタリ待ちの状態と
導引の集中力のような緊張状態は似ているのかも
という内容。
今回はちょっと視点を変えてみて運動、
体を動かしている状態での集中と緊張について
考えてみたりしていることなどを。

実際にやってみればわかると思うけれど、
じっとしている状態で集中するのは
それほど難しいことではないし、
心身の緊張感の有無やその程度なども
自覚しやすいかと。
しかしこれが動的な状態になると状況が一変、
伝達機能や運動機能にも
ちぐはぐな状況が出てきたりする。
早い話が制御不能?の状態。

こうした運動中に生じた混乱状態は、
おそらく運動しながら修復するのが原則なのだろう。
習い事のような習得を目的とするものの多くは
実践(練習)を積むことによって
はじめて得られるもの。
だから運動における集中と緊張のバランスの取り方も、
くりかえし運動することで会得するものかと思う。

それは例えば自転車に乗れるようになる過程も
同じようなものかもしれない。
自転車にうまく乗れない時期というのは
上体を中心にバリバリに力が入った
緊張しまくりの状態。
これでは滑らかなハンドル操作など
できっこないのだが、
とにかく転ぶまいと必死にしがみついている。

周知のように自転車は、
ある程度のスピードで走らないことには安定しない。
そのため、初心者には走り出しが極めて難しい。

転倒することを怖がったり嫌がっているうちは
なかなかうまくならない。
むしろ転倒することも厭わずに受け容れて練習している方が
早くコツをつかむもの。
敢えて不安定な状態に身を置いてしまう方が
結果的には安定を手に入れてしまっている。

これはもしかすると
太極導引も同じことかもしれない。

不安定な状態というのはどこか落ち着かない。
不安定なところには緊張があり、
緊張があるから不安定になるということか。

絵画やデザイン、レイアウトなどにも
黄金分割といわれるような
誰もが安定感を感じる配分というものがある。
こころやからだにも
こうした黄金分割のような均衡はあるのではないか。

太極導引も自転車も
不安定な状態に身を置いていることには違いはない。
しかし、いかにして安定を求めるのかということになると
状況は少し違ってくるのかも。

自転車はその仕組みから、ある程度速く走ることで
安定度が増すようになっている。
一方の太極導引の場合は、
安定のために動作スピードを上げるようなことはしない。
むしろゆっくり動いて敢えて不安定な状況をつくり
そこから安定を求めようとしているような気がする。

ゆっくり動くということは難しい。
例えば同じ動作を
速度を変えて動いてみればわかると思う。

速く動くときは、主要動作となる部位に意識が集まって
その部位を主にして動くような印象がある。
反対にゆっくり動くときは
主導動作となる部位にだけに集中していたら
体全体のバランスが崩れてしまう。

つまり太極導引が求める安定性とは
全体のバランスを保ちながら
あらゆる動きに対応できるようになることなのではないか。

だからこそ、そうせざるを得ない状況での練習を
くり返しているのかと。
あらゆる変化に即対応できる
柔軟な肉体と冷静沈着な精神が整えられていくのかな。

太極導引の場合は全体を協調させることで安定感を得る。
全体の協調とは、自分の体と心でもあり、
自分と他者(外界)との関係でもある。
こうした状況は常に動いており、
間断なく協調をはかり続けることになる。