夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

呑んべえの予感した頃・・♪

2005-05-01 11:56:29 | 幼年・少年時代の想いで
私が小学一年の頃でしたから、昭和26年の年だった。


祖父と父は、東京の郊外で農業をしていましたので、

年末近くになると、餅を搗(つ)いた。

祖父の家を含み、六軒の家で交互に手伝う習慣となっていた。


祖父の順番になると、もち米を精米にし、水に漬けた後、

その当日になると早朝から二つ大きな竈(かまど)に火をいれ、

二尺程の正方形の蒸篭(せいろ)を幾重にも重ねて、蒸した。

男衆は五人来てくださり、それに私の家の人である。

午後になると、杵(きね)で臼(うす)の蒸されたもち米を搗いた。

すべて手作業なので、労力のいる時代だった。


餅になると、お供え、長方形ののし餅、とそれぞれに作っていた。

長方形ののし餅は、長方形の板で形を整え、片栗粉でまぶした。

年末から正月のお雑煮、七草を得て、

その後ときたま二月の上旬まで食卓に出される。

このために、十畳の部屋を二つ使い、廊下まではみ出していた。


夕方の六時ごろになると、搗きたての餅をあんこ、大根のからみ、きなこ用に

それぞれ作り、夕食がわりとなった。

男衆は酒が振舞われ、茶碗酒として出された。

近所の叔父さんが、私に言った。
『XXちゃん、何を食べるの』

『う~ん、大根の辛いの・・』と私は言った。

『そうかい、からみねぇ、XXさん、この子きっと呑んべえになるね』

と赤い顔した叔父さんは、私の父に言った。


この数年後に父が亡くなり、祖父も他界したので、

私の家は急速に変わっていった。

私の周囲の家々も時代の波が押し寄せ、

このような風習は、消えた去った・・。
コメント (4)
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