夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

レコードのあれこれ・・♪

2005-05-21 15:30:46 | 音 楽
本日、私のもうひとつブログ『風のように光りのように』の日記を綴り為、
レコード棚ケースより、シャンソンだけのレコードを引き抜き、
居間のテーブルに載せた。

今から十数年前、同僚がレコードを聴いている、と言ったので、
処分がてら、四百枚ほど宅配便で送った。

今、残っているのはその時々に思い出のあるレコードだけに
なっており、二百枚程度である。

そして今回は、シャンソンの五十枚程度である。

一枚、一枚を居間に載せる度に、その時の思い出が蘇る・・。

レコードからカセット・テープ、そしてCDと三代にわたって、
私の音楽棚を及んでいる。
昨今の状況で、CDが圧倒的に多い。
この三代にわたってある曲は、長年飽きずに聴いていることになる。
今、手元にあるのは、

シャンソンは、バルバラ、金子由香利。
クラシックは、モーツァルトの一部。

私が最も好きなひとりとして、中島みゆき、であるが、
この人に傾倒したのはカセット・テープの時代からだった。

ポピュラーの多くは、同僚に上げたし、四十年近い収集で
三代にわたるアルバムは少ない。
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『ナントに雨が降る』の想いで。 最終回

2005-05-21 11:57:00 | 定年後の思い
私はそれまでのシャンソンの知識は、越路吹雪、岸洋子ぐらいは知っていた。
本場のシャンソンとしては、ダミアの『暗い日曜日』が私の先代の人たちが夢中になったり、
ジュリエット・グレコとか、やはりエディット・ピアフに尽きる、とかはあくまで知識としてである。

このバルバラの『ナントに雨が降る』には、私の屈折の多い青春と
父を幼児の時に死去された想いか、傾倒した。


   『ナントに雨が降る』

           訳詩・永田文夫

♪ナントに雨が降る
 私を放ってほしい
 ナントの空は 私の心を悲しくしてしまう

 ちょうど一年前の
 そんな朝
 ナントの街は やはりどんよりとして
 私が駅から出た時
 今まできたことがなかった街は
 私にとっては見知らぬ街
 メッセージが来なければ
 旅行などしなかったでしょう

 ”マダム、グランジュ・オー・ルー通り25番地へ
 お越し下さい
 忙いで! 希望はあまりありません
 彼の最期の時に
 あなたに会いたいといいました”

 長い長い放浪の後
 やっと彼は私の心の中へ戻ってき
 彼の叫びは沈黙を破り・・
 彼が去ってしまってから
 長い間、私はこの放浪者、この不明者を
 待っていた

 ああ ついに彼は私のところへ戻ってきた
 グランジュ・オー・ルー通り25番地
 私はあの出会いをなつかしく思い出し
 廊下の奥にあったこの部屋を
 思い出の中に深く刻みこんだ

 私が行くと、暖炉のそばに座っていた
 4人の男が立ち上がり
 部屋の明かりは寒くて白く
 彼等は晴れ着を着ていた

 その見知らぬ人たちに
 何も質問せず
 何も言わず、ただ彼等をみただけで
 私はすでにもう遅すぎたことが解った
 それでも私はそこにいた

 グランジュ・オー・ルー通り25番地に
 彼はもう決して私に会うことなく
 すでに世を去っていた

 さあ これがあなたの知っている物語
 彼がある晩戻ってきて
 それが彼の最後の旅
 最後の岸辺になってしまった

 彼が死ぬ前に
 私の微笑で暖まりたがっていた
 けれどその夜のうちにこの世を
 去ってしまった彼

 別れの言葉も ”ジュ・テーム”もいわないで・・
 海に続く道にある
 石の庭に横たわって
 安らかに眠ることを祈ります
 私は彼をバラの花の下に横たえた
 神よ、神よ・・

 ナントに雨が降る
 そして私は思い出す
 ナントの空は
 私の心を悲しくしてしまう・・


この歌は、父の死をしみじみバルバラ自身が綴り、唄ったものです。

この時のレコードから聴こえたのは、フランスの原語であったが、何となく歌詞の概要は解り、
職場であったが、目頭が熱くなった。

その後、バルバラに傾倒して、アルバムのレコードが12枚聴き込んだころになると、
『黒いワシ』の異色作品を携え、日本に来日した。
日生ホールで公演された。

いずれにしても、このバルバラの『ナントに雨が降る』が
シャンソンに傾倒する十年間の始まりだった・・。


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