本日、私のもうひとつブログ『風のように光りのように』の日記を綴り為、
レコード棚ケースより、シャンソンだけのレコードを引き抜き、
居間のテーブルに載せた。
今から十数年前、同僚がレコードを聴いている、と言ったので、
処分がてら、四百枚ほど宅配便で送った。
今、残っているのはその時々に思い出のあるレコードだけに
なっており、二百枚程度である。
そして今回は、シャンソンの五十枚程度である。
一枚、一枚を居間に載せる度に、その時の思い出が蘇る・・。
レコードからカセット・テープ、そしてCDと三代にわたって、
私の音楽棚を及んでいる。
昨今の状況で、CDが圧倒的に多い。
この三代にわたってある曲は、長年飽きずに聴いていることになる。
今、手元にあるのは、
シャンソンは、バルバラ、金子由香利。
クラシックは、モーツァルトの一部。
私が最も好きなひとりとして、中島みゆき、であるが、
この人に傾倒したのはカセット・テープの時代からだった。
ポピュラーの多くは、同僚に上げたし、四十年近い収集で
三代にわたるアルバムは少ない。
レコード棚ケースより、シャンソンだけのレコードを引き抜き、
居間のテーブルに載せた。
今から十数年前、同僚がレコードを聴いている、と言ったので、
処分がてら、四百枚ほど宅配便で送った。
今、残っているのはその時々に思い出のあるレコードだけに
なっており、二百枚程度である。
そして今回は、シャンソンの五十枚程度である。
一枚、一枚を居間に載せる度に、その時の思い出が蘇る・・。
レコードからカセット・テープ、そしてCDと三代にわたって、
私の音楽棚を及んでいる。
昨今の状況で、CDが圧倒的に多い。
この三代にわたってある曲は、長年飽きずに聴いていることになる。
今、手元にあるのは、
シャンソンは、バルバラ、金子由香利。
クラシックは、モーツァルトの一部。
私が最も好きなひとりとして、中島みゆき、であるが、
この人に傾倒したのはカセット・テープの時代からだった。
ポピュラーの多くは、同僚に上げたし、四十年近い収集で
三代にわたるアルバムは少ない。