夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

お茶を摘む頃に・・♪

2005-05-02 11:14:19 | 幼年・少年時代の想いで
遠い昔、昭和26年の頃だった。


祖父と父が農家をしていたので、お茶の樹があった。

宅地からゆるい坂を昇りきり、防風ように欅(けやき)が五十数本あり、

その先は平坦な地で陽当たりがよく、苗床、洗濯の干し場に利用された。

この平坦な所を抜けると畑であり、その先に村道があった。

この村道と畑の境界線にお茶の樹があった。

幅は四尺、高さが五尺で、五十間前後であった。


五月の初旬頃になると、新芽を摘んでいた。

一家総出であった。

私が幼児で三歳の頃は、近くに莚(むしろ)で寝そべっていた、

と母から後年に教えてもらっている。

新芽を摘んだ後、生葉撰り(なまはより)といったお茶の葉から

混ぜりものや蝕まれた葉を取り除く選別作業をしていた。

その後、生葉を新鮮なうちに、蒸篭(せいろ)で蒸した後、

団扇などであおいで、よくさましていた。

そして、長方形の大きな台の上に炭火をおこし、

その上に鉄板を敷き、先ほどのお茶をもんいた・・。


煎茶として出来た後、大きな桐箱、茶包みの箱に収納した。

この煎茶は、家族が一年中に使い、来宅した方の一部の方に差し上げたりした。

もっともこの選別は、戸主の祖父の一言によった。


私は幼児の頃、いじけていたので、いたずらをして、父からよく怒られた。

祖父は、長兄、次兄に続き、私も男の子であったので、

不憫に思ったらしく、祖父の名の一字を私の名前にくれた。

祖父からは、可愛がってくれたが、煎茶を淹れるとき、

いいかげんな振る舞いで淹れると怒られた。


私が成人してから、煎茶を淹れる時、ときたま祖父を想い出される。
コメント (2)
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