昨夜、読売新聞の夕刊を見ていたら、
【都心回帰で教室不足】
【港 区 校庭にプレハブ】
【荒川区 半世紀ぶり開校】
という見出し記事があった。
私は複雑な想いで記事を読んだ。
無断であるが、記事の1部を引用させて頂きます。
東京・都心部の小学校が教室不足に直面している。
23区の児童数は、2001年までに22年連続で減少し、
その間に学校の統廃合が進められてきたが、近年の「都心回帰」で状況が一変した。
・・中でも増加が著しいのは、高層マンション建設が進む港区で、
5年間で46.8%、67学級分に相当する2688人が増える見通し。
臨海部にある港南小では、来年の3月から校庭のプレハブ校舎に
校長室や職員室を移転、隣接する港南中の空き教室を借りることも検討している。
以上、読売新聞の記事より、引用させて頂きました。
私は23区に隣接する調布市に生を受けて、30歳前後の6年間を除き、
この地域で生活を過ごしてきた。
昭和26年の春に小学校を入学した時は、3クラスの学級で、
小学校の校舎は2棟の木造建築だった。
私達の後輩は団塊の世代で、妹達は5、6クラスの学級となり、
木造の校舎が増設されたりしていた。
私の勤めていた会社が、昭和46年の5月に港区六本木に移転した。
私の職場の近くに公園があり、隣接した処に小学校が見えた。
グランドで運動する児童達、校舎で授業を受ける生徒・・
私は職務に疲れた時など、よくこうした情景を見たりした。
平成4年の春に、会社が再度移転し、この地を離れた。
4年前、会社の懇親会が港区六本木で開催された時、
早めにこの地に着いて、本社のあった付近を懐かしげに散策した。
小学校は跡形も無くなり、代わりに低層高級マンションの数棟が建っていた。
小中学校の生徒が大幅な減少し統廃合が行われた、と後日に私は知った。
今回の記事を読んだりして、高層マンションを何とか購入し、
生活を初められた30歳後半の家族の姿が浮かんだ・・。
この中の児童のひとりが、高層マンションに住み、学校に行くと、
校舎は鉄筋コンクリートで、校庭のはずれにプレハブの校長室、職員室・・
こうした思いが私の心はため息をつかせた。
何時の時代でも、こうした予測のつかない急激な一面もある、
と振り返ったりしている。
☆余談であるが、この記事は昨夜の6時過ぎに綴ったが、
私の不手際で消えてしまい、投稿できず、尚更、ため息が増えたりした。